鳳山雑記帳はてなブログ

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安東水軍と十三湊(とさみなと)

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 日本史久々のUPですが、私鳳山がどうしても行きたい場所のひとつに青森県津軽半島にある十三湖があります。日本海に面したここは、中世安東水軍が拠点を置いた十三湊(とさみなと)があった所です。
 十三湊は、博多、堺と並ぶ「三津七湊」の一つに数えられ、北国一の港町として繁栄しますが、1340年、大津波によって一夜にして滅んだといわれています。

 安東氏は、安部貞任の子孫といわれています。1062年、前九年の役で敗れた安部貞任の次子高星丸は、乳母に連れられて津軽の地に逃れます。高星丸が安東氏の始祖です。安東氏は津軽から出羽国秋田郡一帯を支配します。十三湊を中心に水軍を組織し、宋、高麗、シベリア、樺太日本海一帯に交易範囲を拡げ巨万の富を築いたといわれます。
 安東康季は、「奥州十三湊日之本将軍」と称します。鎌倉時代には御家人になり、蝦夷管領に任命されました。十三湊滅亡後もこの地に勢力を保ち続けますが、南部氏の攻撃を受け津軽地方を奪われます。
 安東氏は、湊(秋田市)安東氏と、檜山(秋田県能代市)安東氏に分裂し争いますが、戦国時代、檜山安東氏の愛季が両家を統一、豊臣秀吉に臣従して近世大名の道を開きます。
 天正19年(1591年)、愛季は秋田氏を名乗るようになります。秋田氏は、最終的には陸奥国三春藩として幕末までつづきました。

 かつて日本海一帯に交易網を拡げ、栄えていた安東水軍。十三湖日本海の間にある砂州が港町の跡といわれていますが、そこに立って安東氏の繁栄を偲んでみたいものです。