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北条政子と「貞観政要」

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 日本史上、女傑といえば真っ先に浮かんでくるのが北条政子です。流人時代の源頼朝の将来性を見抜く慧眼、頼朝死後の混乱に付け込んだ後鳥羽上皇の策謀(承久の変)をみごとに捌いた手腕、ちょっと他の女性とは格が違う気がします。

 生来の頭の良さは当然あったでしょう。それに加えて勉強熱心だったそうです。大江広元三善康信ら当代随一の知識人たちに教えを受け助言してもらったほかに、菅原為長に命じて「貞観政要」を日本語に翻訳させ、それを熟読し統治の法則として重視したそうです。

 「貞観政要」(じょうがんせいよう)は『唐の史官である呉兢が編成したとされる太宗の言行録である。題名の「貞観」は太宗の在位の年号(西暦627年~649年)で、「政要」は「政治の要諦」をいう。全十巻四十篇。中宗の代に上呈したものと玄宗の代にそれを改編したものと二種類があり四巻の内容が異なる。伝本には元の戈直(かちょく)が整理したものが明代に発刊されてひろまった「戈直本」と唐代に日本に伝わったとされる旧本の二系がある。
太宗と魏徴・房玄齢・杜如晦ら重臣の間で行われた政治問答が主な内容である。』(ウィキペディアより)というもので、東洋では古来から帝王学の書として有名でした。

 世界史的にみても、このような女傑はあまりいないのではないでしょうか。