鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

ミタンニ王国の幻の首都ワシュカンニはどこにあったか?

 どうにも人気のない中東史シリーズ。一応弊ブログは歴史系ブログとして始まったのでアクセス数は稼げないと思いますが久々に書いてしまいました。もちろん大半の読者様は興味ないと思うのでスルーしてください。

 なぜこの話題を取り上げたかというと、イラン戦争で泥沼化の懸念を抱いたアメリカがCIAを使ってイランのクルド人勢力を支援、イラクのクルディスタン自治政府を動かし同政府の私兵組織ペシュメルガに武器を与えイランに侵攻させ、イラン領内のクルド人勢力の武装蜂起をバックアップさせようと画策しているという情報が入ったからです。この件に関しては近々記事に書くかもしれません。

 それはともかく、クルド人はイラン、イラク、トルコにまたがり3000万人もの人口がいます。実現の可能性は非常に低いですが、イランのクルド人が蜂起に成功しイラクやトルコのクルド人と連合して独立国家を作ったら、古代のミタンニ王国に近い領土を獲得するなと思ったんですよ。

 その前にミタンニ王国を知らないという人が大半だと思うので説明すると、紀元前16世紀ころ印欧語族といわれるフルリ人がメソポタミア北方に建国した古代王国で、戦車(チャリオット、馬に引かせた二輪馬車。弓で攻撃する)を使ってオリエント世界を席巻した強国でした。

 当時の超大国エジプトやバビロニアと互角に戦い、のちに世界帝国となるアッシリアも属国にするほど強勢でした。しかし、アナトリア半島に興ったヒッタイトに圧迫され、さらにはしだいに強大化していったアッシリアに独立され、最後はアッシリアに滅ぼされてしまいます。

 ミタンニ王国の首都ワシュカンニは長い間その場所が不明だと言われました。現在ではトルコ国境に近いシリア北部のテル・エル・ファハリヤ遺跡がワシュカンニだったのではないかと推定されていますが、世界情勢に詳しい方ならご存じの通りこの地域はISやクルド人勢力が激しい戦いを繰り広げた地で満足な遺跡発掘ができないため解明されてはいません。

 同じくミタンニ王国の重要都市でヒッタイトと争奪の的になったカルケミシュは、そこから西に100㎞離れたシリア国境に近いトルコ領にあります。最終的にはミタンニ王国滅亡時ヒッタイト領になったようで、ヒッタイトが海の民に滅ぼされた後に成立した新ヒッタイト諸王国では首都となったようです。

 どちらも、メソポタミアからシリアに続く黄金の三日月地帯と呼ばれる砂漠に囲まれた農耕地帯の真っただ中にあり古代から栄えていたんだなと想像されます。実は旧ヤフーブログ時代に同じ内容の記事を書いた記憶があるのですが、ヤフーブログから引っ越したはてなブログに記事が見つからなかったため、改めて書いた次第です。

 

 

追伸:

 過去記事を遡ってみると、私はかつてIS(イスラム国)が首都としていたシリア北部の都市ラッカがワシュカンニの後身ではないかと推定していました。というのも黄金の三日月地帯は北方を荒涼としたトルコの山岳地帯、南側をアラビア半島から続く砂漠地帯に挟まれ古代から地形条件は変わっていないだろうと思ったからです。

 ラッカは、大河ユーフラテスの北岸にあり大人口を養いやすいはず。陸路、水路の要衝ですから。中東では特に古代都市がそのまま現在でも都市になっているケース(アレッポとかモスル【かつてのアッシリアの首都ニネヴェ】)が多いです。

 ただしこれは我々農耕民的発想で、おそらく遊牧騎馬民族出身と思われるフルリ人が同じような考えとは限りません。あくまで想像ですがフルリ人は満洲人やトルコ人と同様半農半牧の民族だと思われ遊牧民的発想で北アジア遊牧民の首都である王庭(単于庭)のように要害の地(経済的要素は度外視)に首都を設けたか、農耕民的発想で大人口を養いやすい交通の要衝に首都を設けたかは不明です。

 どちらにせよこの地は戦乱が絶えないため、本格的発掘調査は当分の間不可能なんでしょうね。