鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

「だまってすわれば―観相師・水野南北一代」

 私鳳山は、歴史のほかに運命・占いにも興味があります。人の生涯に、運命としか言いようのない出来事があることは、歴史上の人物を見ても、自分の周りの人間、ましてや自分の人生を振り返ってみても痛感させられます。
 私の占い・運命学との出会いは小学生時代、亡き祖父の本棚から「易入門」を見つけてから始まりました。以後、姓名判断、人相、手相とのめり込み、素人ながらある程度の判断はできるようになりました。

 そんな中、出会った本が、これです。神坂次郎著で、江戸時代の大観相家、水野南北の生涯を描いた本で深い感銘をうけたものです。皆さんの生き方にも役に立つと思いますので紹介させていただきます。

 水野南北は、大阪で生まれました。幼くして両親を失い、ぐれて荒んだ青春時代をすごします。家業が鍵屋だったため、「鍵屋の熊太」と名乗り、いっぱしの悪でした。あるとき、二十歳頃、刃傷沙汰を起こして、天満の牢に入れられます。そこで、囚人を観察していると世間一般の人とずいぶん人相が違うことに気がつきます。犯罪者は、それなりの顔をしているという事実を発見して愕然としました。
 出所すると、天満橋のところで、老僧から、「剣難の相がある。このままでは一年生きられまい。死相が出ている…」と言われ、その場は悪態をつきますが、どうにも不安でなりません。

 そこで、熊太は考えました。死神に対抗できるのは仏だと。早速お寺に行って、出家を願い出ると、そこの住職から「1年間、米飯を口にせず、麦と白豆のみで過せたら入門を許す」といわれ、その通りに実行します。粗末な食事をうまく食べるには、動く事だと、熊太は頼まれもしないのに寺の掃除をやり始めます。すると、一年たっても死なないではありませんか。
 たまたま、通りかかった、死相を告げた老僧を発見すると、怒って詰め寄ります。
 「お前の言う事は、嘘八百だったじゃないか!」と。
 老僧はまじまじと見て、「不思議な事じゃ。死相が消えておる。そなた、何か陰徳をつみなさったか?」
 そういわれてみると、熊太も思い当たるふしがあります。麦と白豆のみの食事の話をすると、
 「それじゃ。食を節することは天地に陰徳を積むことであり、それによって知らないうちに運命が書き換えられ、相まで変わったのだ。」
 この話を聞いて運命に興味をもった熊太は、強引に老僧の弟子になります。老僧は水野海常といい、遊行僧ながら、真言密教を極め、相法にも造詣の深い傑物でした。彼について三年、一心不乱に勉強します。そして師より水野の姓を貰いうけ、水野南北と名乗りました。

 南北は、相学を究めるには実地で勉強しなければならないと思います。髪結いで三年人相を研究し、風呂屋の三助で三年、体相を究め、火葬場で三年、骨相を学びました。こうして世に出た水野南北は、百発百中の大観相家になっていました。

 数々の門人が集まり、自著「南北相法」は世間で喧伝され名声を博しました。それでも南北は満足せず、ついに凶相の者でも、食生活を改善することにより運を変えることが出来るということを発見します。これが『慎食延命法』の極意でした。
 水野南北は、いかなる良相・吉運・健康な人であっても常に美食し、飽食したら悪相となり凶運短命となる。逆に食を慎めば、どんなに凶相の人でも良運に変わることができると説きました。

 南北のすばらしさは、運命はあるが、努力によって変えられると主張したことでした。何事も腹八分目が良いということです。反対に、幸運だからといって、傲慢になり身を慎まないと、天の貯金であるところの陰徳を使い果たし、凶運に転ずることになります。

 私鳳山は食いしん坊なので、耳に痛い言葉ですが、なるだけ慎もうとおもいます。そして陰徳を積んでいこうと改めて決心しました。