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世界史の胸糞悪くなる話2  奴隷貿易

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 あんまりシリーズ化したくない題材なんですが、南米史を書いていて奴隷貿易とは切っても切れない関係だと考えて記事にしなければと勝手な使命感を抱きました。高校世界史ではおそらく表面だけさらっとしか語らないと思うので、今回どれほど酷かったのか見ていきましょう。

 黒人奴隷は主にアフリカ西海岸で調達され、南北アメリカ大陸に送られました。何故南北アメリカで奴隷が必要だったかというと、インディアンとかインディオなどとヨーロッパ人に呼ばれたネイティブアメリカンの人口が激減したからです。南北アメリカ大陸を征服したスペイン、ポルトガル、遅れてやってきたオランダ、イギリスなどは植民地を収奪の対象だと見ていました。

 まずは彼らの持つ金銀財宝を奪いつくし、その後は鉱山やプランテーション農園で酷使します。しかしこのような悲惨な生活は現地人に耐えられるはずもなく、その上ヨーロッパ人のもたらした天然痘などの新大陸の人たちに免疫のない伝染病で数多くの病死者を出しました。全盛時1600万人の人口を誇ったインカ帝国は、スペイン人の植民地支配で60万人に激減したそうです。新大陸の他の地域も似たような状況だったに違いありません。

 ヨーロッパ人たちは、現地人が死に過ぎたせいで思うような収奪ができなくなった後も植民地を諦めようとはしませんでした。人がいないなら連れてくればよい。このおぞましい考えが黒人奴隷貿易を生んだのです。

 ヨーロッパ人たちはまずアフリカの西海岸に奴隷貿易の基地となる要塞を築きます。そして近隣の部族同士で戦争が起こると捕虜が出るので、それを買い取り奴隷としました。あまりにも奴隷狩りが進んで海岸地帯に奴隷要員がいなくなると、ヨーロッパ人たちは沿岸の部族に武器を与え奥地の部族を襲撃させました。部族たちも、奴隷を狩ってヨーロッパ人に売りつければ莫大な収入になるので喜んで遠征します。この欧州人と現地部族の結託が黒人奴隷という負の遺産を築いたのです。

 さてこのような手段で集められた黒人奴隷たちは、船に乗せられ新大陸に送られます。船にできるだけ多くの奴隷を積み込まなければ採算割れするので、奴隷たちは鎖でつながれぎゅうぎゅう詰めにされました。食べ物もろくに与えられず衛生環境も悪いという過酷な環境の中、3人に1人の奴隷は大西洋上で死んだそうです。

 新大陸では奴隷一人当たり13ポンド半で売れました。これがどれほどの価値か分かりませんが、一人の人間を奴隷に売る価値ではなかったと思います。奴隷商人たちは、交易の最大効率化を図るため三角貿易を考え出します。

 まずヨーロッパから西アフリカへは武器や綿織物、ガラス工芸品などを積み込みます。これを現地の欧州人に売って、要塞内の奴隷市場で奴隷を購入。西アフリカから新大陸に奴隷を運び、売り払った金で砂糖、コーヒー、綿花などを購入、ヨーロッパに運んで売りさばくのです。この三角貿易は粗利率で59%(売り上げが100万なら利益が59万円という事)というあり得ない莫大な利益を得たといわれます。

 このような非道な手段で新大陸に送られた黒人奴隷は400年で1000万人を超えたそうです。新大陸での黒人奴隷の過酷な生活は過去記事で書いた通り。このような酷い事してきたんですから、現在欧州諸国が移民で苦しめられているのも自業自得なのでしょう。

 仏教では因果応報といわれますが、過去にしでかした悪行はいつか償わなければならないと思います。欧州は今後ますます苦しめられると個人的には考えています。