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ロシア近衛銃兵隊ストレリツィ

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 マスケット銃というのは、銃身にライフリングが施されていない先込めの滑空式歩兵銃の事です。フリントロック式(燧発式)やホイールロック式など様々な点火機構があり、日本で爆発的に普及した火縄銃もマッチロック式マスケット銃です。

 一番信頼性が高いのは火縄銃ですが、雨の日は使えないなど初期には様々な欠点が露出し、ホイールロック式も機構が複雑すぎて信頼性が低く、結局欧州ではバランスの良いフリントロック式が一番普及しました。フス戦争(1419年~1434年)では世界で初めてマスケット銃が登場し本格的に実戦で使用されますが、農民兵の操るマスケット銃は戦闘のプロである騎士たちを圧倒し欧州中にその有効性を示します。

 オスマントルコも早くからマスケット銃の威力に注目しイェニチェリ(オスマン朝の常備歩兵軍団)の主武器に採用して欧亜にまたがる大帝国を建設しました。それまで騎兵が主力だった戦争は、マスケット銃を装備する歩兵が主役に変わります。これは古代から中世にかけて世界を席巻した遊牧騎馬民族の時代の終焉も意味しました。

 ジュチ・ウルスとその後継国家の所謂『タタールの軛』に悩まされていたロシアでも、マスケット銃を装備する近衛銃兵隊が組織されました。創設したのはイヴァン4世(雷帝)。ストレリツィと名付けられた銃兵隊はロシア初の常備軍となります。欧州との戦いでは相手も大規模な銃兵隊を組織していたのでイヴァン4世の覇業はそれほど上手くいきませんでした。ところが相手が騎兵だけの遊牧民相手だと鬼のような力を発揮します。

 イヴァン4世はストレリツィの力を使って、それまで苦しめられてきたジュチ・ウルスの後継国家群を攻めました。カザン汗国、アストラハン汗国がイヴァン4世の軍隊によって滅ぼされ、シビル汗国も一時は撃退したものの執拗なロシアの攻撃についに屈します。最後まで抵抗したのはジュチ・ウルスの正統後継者を自任するクリミア汗国。クリミア汗国は、同じイスラムスンニ派のスルタンでありカリフでもあるオスマン帝国を頼りました。

 そのため、ロシアはイヴァン4世の治世では征服できず200年以上後のエカテリーナ2世の時代にようやく滅ぼす事ができます。それはクリミアの宗主国オスマン帝国が強すぎたのが原因です。レパントの海戦などの敗北でオスマン帝国の欧州における優位が終わり、衰え始めた事で初めてロシアはクリミアを併合できました。

 ところがストレリツィは、特権階級として次第に利権化し政府の権力争いに介入するようになってきます。創設当初6個大隊3000名だったストレリツィは16世紀末には2万5千、1681年には5万5千と拡大していきました。17世紀後半、ストレリツィの横暴に悩んだロシア政府は正規軍を創設し彼らと対抗させます。

 1689年ピョートル1世(大帝)がクーデターにより政権を取ると、正規軍の近代化を進めるとともにストレリツィには徐々に制限を加えて行き、最後は正規軍に吸収する形で廃止します。正式なストレリツィの廃止は1711年。その誕生と滅亡が隣国オスマン帝国のイェニチェリの歴史とそっくりなのは驚かされます。

 結局ストレリツィもイェニチェリと同様、時代の必要で誕生し、必要とされなくなって廃止される運命だったのでしょう。