人類が最初に鉄器を手にしたのは紀元前4000年くらいだそうです。アナトリアの地で見つかりました。しかし、当時の鉄は銅よりもろく、硬さも劣りました。銅より融点が高く、抽出法も難しい鉄はあまり普及しませんでした。
ところが、紀元前1500年ころ当時アナトリアの地を支配していたヒッタイト民族が、錬鉄を木炭に混ぜて熱し、ハンマーで叩くという工程を繰り返すことで、青銅より硬くて強靭になることを発見します。炭素を入れる事で、表面層の炭素量を増加させ、焼入れ硬化する処理法、いわゆる「浸炭法」の発見です。こうしてできた鋼(はがね)は人類の歴史を変えます。浸炭法は現在でも利用され自動車部品などの機械部品に幅広く使われています。
当時の鉄は、桐生操さんの「世界史の謎」によれば、銀の40倍、金の5倍という超高値で取引されたそうです。古代史にくわしい方はご存知ですが、ヒッタイトは、この浸炭法を独占し、鉄器と戦車によってオリエント世界を席巻します。ヒッタイトの兵士は、この鋼の武器によって「一人で十人の敵を倒せる」と言われていました。
当時の超大国エジプトとヒッタイトがシリアの地で激突した有名な「カデッシュの戦い」は、シリア西北部地中海沿岸のあった、古代産鉄地帯ウガリトをめぐる戦いであったとも言われています。
ヒッタイトの製鉄の中心はアナトリア中部でしたが、鉄器独占のためにはウガリトを手放すわけにはまいりません。一方、エジプトにとっては産鉄地帯ウガリトは喉から手が出るほど欲しい領土でした。
結局、エジプト王ラムセス2世の野望は潰えます。しかし、ヒッタイトと外交関係を結ぶ事で鉄器を手に入れる事に成功しました。
ヒッタイトは、紀元前1200年ころ、「海の民」といわれる謎の民族の侵略をうけ滅亡します。私はこれをドナウ文明が滅んで故郷を捨てたドナウ人と見ているのですが、実態は不明です。
ただ、あれほど強勢を誇ったヒッタイトがあっけなく滅んだ理由ですが、ご存知の通り鉄器を製造するには大量の木材が必要です。それを調達するためアナトリアの森林が伐採され、自然の生態系が狂い農業生産力が極端に落ちたという理由が考えられます。実際、ヒッタイトは同盟国エジプトから食料を輸入していたそうです。
世界で初めて鉄器を使用したのもヒッタイトなら、世界で初めて環境破壊で滅んだのもヒッタイトでした。
ヒッタイトの滅亡によって、浸炭法の技術は世界中に広がります。日本に鉄器がもたらされたのは弥生時代中期、紀元前後のころだそうです。いまや存在が当たり前になった鉄器ですが、その歴史をひもとくのも面白いと思います。
余談ですが、ヒッタイト民族は印欧語族です。どこからかこの地にきたとも、アナトリアから世界中にひろがったとも言われています。興味のつきない話題です。