鳳山雑記帳はてなブログ

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カリンガ戦争とカリンガ人のその後

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 ある方から過去記事の「超古代文明アスカ」にコメントをいただきました。そういえばアスカのあったオリッサ州って仏典で有名なカリンガ国のあった地方だったな?と思いだし、俄かにカリンガ国に対する興味が湧きだしました(苦笑)。
 
 
 一般の方は全く興味ない話だと思うのでスルーして下さいな。
 
 
 カリンガ国とは、古代インドでインド亜大陸東岸オリッサ州を中心とする地方に存在した王国です。仏典に記されている紀元前6世紀から紀元前5世紀(釈尊の生きた時代)にインドに存在した有力な十六国には数えられていませんから、もしかしたら(というよりかなりの確率で)アーリア人ではない異民族王朝だったと思います。
 
 普通に考えたらデカン高原以南に住むドラビィダ人王朝だと思いますが、それとも違う別系統の民族だったという線も捨てきれません。
 
 
 カリンガ国を有名にしたのは、インド最初の統一王朝であるマウリア朝の第三代国王、英主の誉れ高いアショーカ王に征服されたカリンガ戦争でしょう。
 
 
 カリンガ国は当時かなりの強国であったらしく、マウリア朝初代チャンドラグプタも一度征服しようとして失敗しています。アショーカ王も統一事業の最後まで残ったカリンガ国に紀元前265年戦争を仕掛けますがこの時も激戦でした。
 
 
 時のカリンガ国王はアナンタパドマナバ。マウリア軍はカリンガ国民15万を捕虜としそのうち10万を虐殺したとも言われる凄惨な戦だったそうです。カリンガ軍も必死に抵抗しマウリア軍も1万を超える戦死者を出します。おそらくカリンガ国民の死者はその数倍、古代の民族ジェノサイドでした。国土は荒廃しカリンガ人は四散します。
 
 仏典ではあまりの被害の大きさに衝撃を受けたアショーカ王が以後仏教に傾倒しその保護に努めたとされます。もちろん仏典ですから仏教帰依後のアショーカを際立たせるためそれ以前の歴史は誇張があったと見て間違いありません。ただ戦争自体は悲惨であったろうと想像します。
 
 
 私はこれでカリンガ国は完全に滅亡したと考えていたんですが、あらためて調べてみるとその後もマウリア朝の属国として残ったようですね。マウリア朝の支配が衰えると独立しチェーティ朝が成立します。
 
 カーラヴェーラ王(紀元前209年?~紀元前170年頃)の時に全盛期を迎え東南アジアなどとの交易で栄えた海洋貿易国家でした。マレーシアでは今でもインド人の事を「カリング」と呼ぶそうです。
 
 一時はマガダ国(マウリア朝の中心地)ラージャグリハ(王舎城、マガダ国の旧都)まで攻め込み、インド・グリーク朝(バクトリアのデメトリオス1世インド侵入によって成立したギリシャ人王朝)とも戦い、退却させたとも伝えられますからかなりの強国でした。
 
 その後衰退し、インド亜大陸でのカリンガ人王朝はなくなります。しかし海外交易を通じて東南アジア各地にカリンガ人居住区ができ時代が下るとそれらの民族に溶け込みました。
 
 面白いのはスリランカ北部で13世紀に成立したジャフナ王国でカリンガ人の子孫を称したそうです。実際に血縁関係があったのかどうかは分かりませんが、それだけ東南アジア各地でカリンガ人が有名だったという証拠でしょう。
 
 
 カリンガ文字はドラヴィダ語系統だそうですからやはり民族もドラヴィダ系の可能性が高いですね。