前記事の米原長者伝説の続きです。といっても私が勝手に推理しているだけの話ですが…(汗)。
前記事では伝説にすぎないと断じたのに子孫って矛盾しているだろ?という突っ込みは当然あると思います。
ただ日岡山と米原長者の話は伝説でも、この地を治める古代豪族はいたのではないかと考えます。米原長者が用明天皇から「長者」号を授かったというのはこの地の古代豪族の支配権を朝廷が認めたことの証拠ではないかと思いました。
実際、ここから数キロ南に下った鹿央町の千田聖母八幡には古代に卑弥呼に仮託される女王がこの地を治めていたという伝説もあるくらいですから。これは内田康夫の浅見光彦シリーズ「はちまん」でも紹介されているエピソードなんです。
実はこの小説で千田聖母八幡の存在を知って現地に向かったくらいです(笑)。
焼米氏はもしかしたら、この古代女王の末裔、そして米原長者にも仮託される古代豪族の末裔かもしれませんね。
いつか地元の図書館で郷土史を調べてみたいと思っています。