
皆さんに意外と知られていませんが、実は第2次大戦中の日本にも機甲師団はあったんです。しかしわずかに4個。主力である戦車も九七式中戦車と九七式改、一式中戦車が大半で三式中戦車は本土決戦用に温存、わずか166両の生産では1個戦車師団の定数分もありませんでした。M4シャーマンに何とか対抗できる(かもしれない)四式、五式に至ってはまともな量産体制もできてないという体たらくでした。
ついでにここで日本の戦車師団の編成を紹介しておきますかね♪
◆戦車師団司令部
◇2個戦車連隊
◇1個機動歩兵連隊(一式半装軌装甲兵車装備)(ただし戦車第4師団には含まれず)
◇1個機動砲兵連隊(自走砲)
◇1個師団速射砲隊
◇1個工兵隊
◇1個整備隊
◇1個輜重隊
◇1個通信隊
なかなか資料がなくて確定的な事は分かりませんが、連隊定数で装軌車両222両、装輪車両87両だったそうです。
終戦時の機動歩兵第1連隊で、装甲兵車39両、装軌貨車3両、自動貨車21両、軽装甲車15両、乗用車8両、指揮車1両でした。定数分さえ満たせない現状では本土決戦でも能力を100%発揮できなかったと思います。
この一式半装軌装甲兵車、なんとなくドイツの装甲兵員輸送車Sd Kfz 251と似ていると思いませんか?戦車大国であり装甲戦術大国であるドイツの影響がなかったと言えば嘘になるでしょう。アメリカのM2/M3ハーフトラックのような大量生産を前提とした割り切り方ができなかったところに日独共通の職人気質が感じられます(笑)。