鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

『伊達三代記』(PHP文庫) …ただいまの私のマイブームです

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伊達家を二つに割った「天文の乱」を乗り越え、奥州探題の地位を勝ち取った名君・晴宗。多くの家臣の人望を集め、優れた先見の明で家督争いに終止符を打つも悲劇の最期を遂げた輝宗。亡き父の遺志を胸に、瞬く間に奥州の大半を平らげて、天下人の秀吉・家康とも渡り合った「独眼竜」政宗。一族の宿願である"奥州王への道"をひたすらに戦い続けた伊達三代の男達を描く力作。

                         - 作品紹介より -

 白状しますと、この本を読むまでは伊達政宗ってあまり好きじゃなかったんです。山岡荘八の「独眼竜政宗」(全6巻)はむろん読みましたが、その時は面白かったんですがどうも興味を憶えるほどではありませんでした。

 ところが、政宗が伊達家の当主になるのには伊達家代々の壮絶な苦労があったという事がこの本で分かってきて、俄然興味を持ちました。

 そもそも政宗の曽祖父にあたる伊達稙宗が無理な養子縁組で越後上杉氏の跡継ぎに自分の息子を据えようと画策した事から、長子の晴宗と対立し、家中が二つに割れた合戦が起こります。稙宗が芦名氏や大崎氏など奥州各地の大名に養子を出していたことから奥州全土を巻き込んだ「天文の乱」に拡大、それが伊達家騒乱の始まりでした。


 私の理解ではせいぜい米沢周辺の争いくらいに思っていた天文の乱が、意外に大規模だったことに驚かされました。それよりも婚姻政策によって稙宗が当時の奥州を制圧していたという事実はもっと興味を抱かせました。


 ただそれは実を伴っている支配ではないという事実を息子の晴宗は理解しており、現実主義と理想主義の争いが家中を二分した戦いになりました。越後上杉家といえば関東管領山内上杉に最も近い一族でしたから、その当主に自分の息子を就けるという野望は、稙宗には棄てがたい魅力でした。しかしそのために伊達家の精鋭を上杉家に付けるという方針が、伊達家の勢力減退になるという晴宗に反対されたのです。

 奥州全土を巻き込んだ天文の乱が時の将軍・足利義輝の調停で集結したとき、伊達家は大きく勢力を後退させ米沢盆地と陸奥中部を支配するだけの勢力になりました。

 晴宗の子、輝宗はかっての勢力を取り戻すことに一生を費やします。そして若くして伊達家十七代を継いだ政宗もまた奥州王であったかっての勢力を取り戻す事に一生を賭けることとなります。

 人取橋、摺上原の激闘によって南陸奥の大勢力・芦名氏を滅ぼした政宗は、出羽南部から陸奥南部・中部にかけた百万石近い大勢力になります。悲願の奥州王に最も近づいた瞬間、豊臣秀吉という天下人によってその野望を打ち砕かれたのです。

 そのあとは余生のようなもの。独眼竜政宗が印象に残らなかったのは余生の部分が長かったためだと、今思うと想像できます。


 この本面白いですよ。これの副読本として佐竹義重(同PHP文庫)を併せ読むと当時の奥州情勢が良く理解できますよ。こっちの佐竹義重も面白いです。伊達とも北条とも戦って、決定的敗北が一度もないんですから。彼も傑物だったことは間違いないでしょう。


 あんまり面白いんで、戦国史FEのショートシナリオ「天文の乱」を始めてしまいました(笑)。