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人生最後の大逆転   - 秦の宰相、百里奚(ひゃくりけい) -

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 昔は人生五十年と言われていました。長寿時代の現代でも六十歳をすぎるとリタイアしなければなりません。そんな中、人生七十歳にして大逆転が起こった人物がいます。彼の人生を見ると、今不幸のどん底のあっても希望を捨ててはいけないなと痛感させられます。

 その人物とは、中国春秋時代、名君といわれた秦の穆公(ぼくこう)の下で宰相になった百里奚という人です。宮城谷昌光氏の短編「買われた宰相」でも知られる彼の人生を簡単にご紹介します。

 百里奚は楚の出身とも許が生誕地とも言われはっきりしません。若い頃青雲の志を抱き諸国を回ったそうです。斉を訪れた時、飢えて倒れたところを斉人の蹇叔(けんしゅく)に助けられます。
 蹇叔は地主の三男坊だという気楽な身分であったためか、意気投合しいっしょに旅を続けることになりました。

 ところで、当時の斉は政治が乱脈を極め襄公が臣下に殺されるという異常事態でした。伝手があって襄公に仕えないかという話がきていたのですが、蹇叔の反対によって取りやめになりました。
 蹇叔は地元だけに、現政権の危うさがわかっていたのでしょう。結果的に百里奚たちは命を救われました。

 次に百里奚は周王朝の王子の一人に仕えようとします。このときも蹇叔は反対します。はたして、この王子は王に反逆しますが2年後敗死してしまいます。ここでも命が助かったわけです。

 百里奚は周の都洛邑から黄河を渡った北にある小国、虞へと仕官しようとします。ここでもまた蹇叔の反対にあいますが、すでに老境にさしかかっていた百里奚は、親友である蹇叔の反対を押し切り仕官をしてしまいます。これで蹇叔と袂を分つことになりました。


 百里奚は才覚があったのでまもなく大臣に取り立てられます。やっと我が世の春が訪れたかに見えました。しかし、蹇叔の懸念通り不幸がやってきました。
 隣国、晋の献公が虞に侵攻しこれを滅ぼしてしまうのです。大臣であった百里奚は捕虜になり、奴隷に落とされてしまいます。


 あるとき晋の献公は、隣国秦の穆公に自分の娘を嫁に出すことになりました。可愛い娘に箔をつけるため百里奚を従者として送ることを献公は考えました。

 なんという運命の皮肉でしょう、小国とはいえ大臣だった者が奴隷として送り出されるのです。自嘲の笑を浮かべた百里奚は、将来に絶望し行列から逃げ出します。


 一方、晋から差し出された名簿をみた穆公は、百里奚がいないことに気付きます。興味を憶えた公は、いろいろ調べさせて百里奚が賢人であることが分かりました。

 八方手を尽くした穆公は、逃げ出した百里奚が楚人に捕らえられ、羊飼いにさせられているところを発見します。大げさに迎えると楚に百里奚の賢才を知られると恐れた穆公は、百里奚を逃げた奴隷を取り戻す代金として羊の皮五枚(五羖)で買い戻しました。


 穆公は百里奚と対面し、三日三晩語り合うほどでした。まもなく百里奚は秦の宰相として取り立てられます。このとき七十歳を過ぎていたといわれています。
 百里奚は穆公の期待に応え、後進国であった秦を有力な国に作り変えました。その後20年間宰相を務めます。穆公の人を見る目は確かだったといえるでしょう。


 ところで、蹇叔ですが百里奚はこの親友のことを忘れてはいませんでした。百里奚は巷間に隠れていた蹇叔を見つけ出すと、穆公に推挙します。蹇叔もまた秦の大臣として賢才を発揮したそうです。



 いかがでした、人生最後まで諦めてはいけないと思いませんでしたか?このような人生もあるのだということが分かっただけでも良かったと思いませんか?私は彼の人生を見て希望が湧きました!