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どんなお宝がでてくるか?興味深々です。

西漢代の王族の墓を発見、厳重な警備のもとのお宝発掘―安徽省六安市

安徽省六安市で発見された西漢時代の王族の墓で、発掘調査が行われた。現場では武装警官が警備を行い、ものものしい雰囲気の中発掘品に高い期待が寄せられている。

2007年1月7日の午前、多数の公安警官が完全武装をして、安徽省六安市郊外の双敦村を訪れた。実は去年の3月、この村で鉄道工事中に2つの古墳が発見された。専門家が調査を行い、古墳の構造から西漢時代の王族のものと判明した。専門家たちが興奮しているのは、この発見された古墳の保存状態がよく、貴重な文化財が大量に出ると期待されているためだ。この日正式な発掘が行われる際、公安機関にも依頼して武装警官を動員し、発掘現場の警備を強化することにした。

最新情報によると、現在古墓から兵馬俑や大型の青銅器が発見されているそうだ。また一部の青銅器にある文字から、この墓は漢の景帝(けいてい・紀元前188年~紀元前141年)の孫、六安王劉慶のものである可能性が高いと、専門家たちは推測しているという。

                           - Yahoo!ニュースより転載 -

 私がこの記事を見てふと疑問に思ったのは、景帝といえば有名な武帝お父さんで、「呉楚七国の乱」という皇帝一族が封じられた有力諸侯の大反乱が起こり、名将・周亜父に命じてようやく鎮圧した人ですよね。国が滅ぶかもしれないほどの反乱でヘトヘトになり、王族を地方に封ずるのに懲りて、郡国制から郡県制に切り替えた人なのに、自分の息子でまだ同じことをやってたのか、ということです。(笑)

 まあ、以前ほどの大領土を与えず、王といっても実権はなかったのかもしれません。自分のつたない理解では、その土地から上がる税収だけを保障して王族は都に住まわせていたとばかり思っていたものですから。案外、その土地に住んでいたんですねえ。まあ、都にいても実権がないことには変わりありませんが。とすると、あまりたいした出土品はでないのか(笑)。それも困ります。続報待つ!