鳳山雑記帳はてなブログ

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ハプスブルク帝国Ⅴ  フェリペ2世

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 カール5世退位後ハプスブルク帝国は息子のフェリペ2世と弟フェルディナント1世に分裂したことは前回書きました。
 
 本来なら神聖ローマ皇帝であり本領オーストリア大公であるフェルディナント1世について言及すべきです。しかし、受け継いだものを比較するとフェルディナントがオーストリアドイツ国内のわずかばかりの領土だけなのに対し、フェリペはスペイン、低地諸国(ネーデルラント、フランドル、ブラバンド)、ミラノ公国ナポリ王国イタリア半島南部とシチリア島)、新大陸(メキシコからペルー、チリに至る広大な領土)、フィリピンなど帝国のほとんどを受け継いでいます。
 
 どちらがハプスブルクの中心かは一目瞭然で、教皇をはじめとする欧州各国もフェリペ2世をカールの後継者と見ていました。当時のスペインはまさに「太陽の没せぬ帝国」だったのです。フェリペ2世(在位1556年~1598年)は自他共に認める全カトリック教徒の擁護者、盟主として宿敵オスマントルコに当たることを全欧州から期待されていました。
 
 実はフェリペは即位する2年前の1554年、イングランドの女王メアリー1世と結婚しています。ところがメアリーは11歳も年上でしかも醜女(失礼!)。典型的な政略結婚でおそらく夫婦仲も良くなかったと思います。
 
 そのメアリーが子供ももうけず1558年死去すると、フェリペは彼女の異母妹でイングランド王位を継承したエリザベス1世に求婚します。フェリペの意図は明らかで、イングランドハプスブルク領に加えようという野心の表れでした。聡明なエリザベスはその手に乗らずこれを拒否。以後二人の仲は険悪化し終生のライバルとなります。
 
 そのころスペイン領ネーデルラントでは、ただ収奪されるだけの存在に我慢ならない貴族や市民たちがスペインに対して独立戦争を始めていました。1568年の事です。父カールの時代は、カールがフランドル生まれという事もあって表面化しませんでしたが、スペイン育ちのフェリペに代替わりして不満が爆発したのです。フェリペはスペインから軍隊を送り武断政治でこれに臨みます。後にネーデルラント北部17州がスペインからの独立に成功しますが、正式に独立を勝ち取ったのは1648年のウエストファリア条約。実に80年もの時がかかりました。これがオランダ独立戦争です。
 
 イングランド女王エリザベス1世は、スペインに対抗するためネーデルラント諸州に援助を与え両者の対立はのっぴきならぬものになりました。それでもスペインの屋台骨を揺るがす事にならなかったのは、いかに当時のスペインが超大国であったかの証明です。
 
 フェリペ2世は、カトリックの盟主として大艦隊を派遣し1571年レパントの海戦で初めて強敵オスマントルコ海軍を撃破します。オスマントルコは敗戦しても実質的な損害は軽微でしたが、事実上この戦いによってオスマン帝国の拡大路線が頓挫したのは事実でした。1579年にはネーデルラント南部諸州(現在のベルギーに当たる)を独立戦争から脱落させ、1580年にはポルトガルを併合、七つの海を支配する大帝国を築きました。
 
 おそらくこの時期がフェリペ2世の、そしてスペインの絶頂期だったと言えるでしょう。しかしその時期は間もなく終焉を迎えようとしていました。
 
 世界の海を制し無敵艦隊と称した強大なスペイン艦隊は、1588年オランダ独立戦争を支援する小癪なイングランドを叩くため北上します。艦船130隻、兵員18000名、火砲2500門という圧倒的な大軍でした。これを迎え撃ったフランシス・ドレイク提督率いるイングランド艦隊と英仏海峡で激突。当時のイングランドは後世のイメージとは違い小国でした。太陽の没せぬ帝国の主フェリペ2世は歯牙にも掛けていなかったと思います。
 しかし結果は無敵艦隊の惨憺たる敗北。小型船が多かったイングランド艦隊は機動力で勝り敵を翻弄しました。
 
 世に言うアルマダ海戦です。この海戦の結果スペインの絶頂期は陰りを見せ、イングランドが世界史の舞台に颯爽と登場しました。といってもスペインはまだまだ超大国でした。スペインの退潮がはっきりとしたのは1648年のオランダ独立だといえます。ベルギーがスペイン領に残ったとはいえ、欧州一富裕なオランダを失った事は致命的でした。そればかりかオランダはスペインの海上権に公然と挑戦してくるようになります。
 
 
 フェリペ2世の晩年は、長年のオランダ独立戦争で財政が傾き長男が夭折するなど家庭的にも恵まれませんでした。子供たちの多くは早くに亡くなり唯一残った男子フェリペ3世が王太子になります。
 
 
 1598年フェリペ2世死去。享年71歳。悪性の腫瘍を悪化させての孤独な死だったと伝えられます。彼の死とともにスペインの世紀も終わりを遂げました。以後スペインはフェリペ3世、フェリペ4世、カルロス2世(在位1661年~1700年)と受け継がれますが、カルロスに子がなかったため断絶。スペイン継承戦争が勃発し、結局スペイン王国はフランス・ブルボン家のものとなりました。現在のスペイン王室はブルボン家の子孫です。
 
 
 あれほど強大で世界一とも言える財力を誇ったスペインが凋落したのは何故でしょうか?多くの史家を悩ませる問題ですが、有力な説として海外植民地からの莫大な富に頼り国内産業を育成しなかったからだと云われます。イングランドやオランダはスペインの失敗を学び、海外植民地をただ収奪するだけでなく国内産業の原料供給地、そして市場として育成しました。
 
 その差が、のちの発展を決定付けたのだと思います。