信濃の場合は理解できます。中継母艦として前線に進出し、後方から発進した航空機の補給拠点としての使用を考えられていたからです。たださすがに固有の航空部隊を持たないのは駄目だろうと艦上戦闘機「烈風」×20機(常用18機+補用2機)、艦上攻撃機「流星」×20機(常用18機+補用2機)、艦上偵察機「彩雲」×7機(常用6機+補用1機)の計47機搭載とされました。
ところが信濃の格納庫床面積を調べてみると4860平方メートルあります。日本最大規模の搭載量を誇る翔鶴型(84機)が5545平方メートルなので一見狭いように思えます。しかし2段格納庫の翔鶴型と違い1段の信濃は余裕があり露天繋止(飛行甲板上に野ざらし)を含め80機は積めたと実際に計算した人がいます。これは中継母艦ですから当然です。
では53機という数字はどこから来たのでしょう?実は大鳳は計画時には78機の搭載機を予定していました。しかし最終的には使用機体が大型化したため烈風×18機、流星×36機で54機(他に彩雲×7機)に落ち着きます。これが53機あるいは54機の出典になったような感じがします。
大鳳は実戦ではどれくらい搭載していたでしょうか?ネットで見つけた光人社の「図解 日本の空母」引用によると戦没時、零戦52型×27機、九九艦爆/彗星艦爆×27機、天山艦攻×18機、二式艦偵×3機で合計75機積んでいたそうなのです。(露天繋止含む)
烈風と違い小型の零戦ならこれだけ積めたという事でしょう。そして流星より彗星・天山の方が余計に積めたと考えていいかもしれません。
これだけ小さくできたら数は当然多くなりますよね。米軍機は大馬力エンジンを積んでいたため機体を頑丈に作る事が出来たし、折り畳み機構で少々重くなっても平気だったのでしょう。