いきなり余談からですみません(汗)。
三国志で諸葛亮の北伐に際し、初めは魏将夏侯淵や曹真の副将としてのちには大都督雍涼諸軍事(魏の西方総司令官)司馬懿のもとで重要な将軍として蜀軍に立ちはだかった郭淮という武将を覚えておられる方も多いと思います。横山光輝の漫画では眼がぎょろっとして頬骨が高い異相をしてましたね♪
街亭や斜谷の戦いでは粘り強い指揮で結局諸葛亮の侵攻を防ぎきったなかなかの名将でした。車騎将軍・儀同三司という高官に累進し晩年は雍涼の軍事指揮権まで任された魏の重鎮です。
二人の間には南風(なんふう)という娘が生まれました。
皇太子妃になるくらいだからさぞかし美人だったと想像される方もいるでしょうが、実際は色黒の醜女だったと伝えられます。あまたの皇太子妃候補は賈充の権力により排除されました。おそらく武帝も建国の功臣であった賈充に遠慮して逆らえなかったのでしょう。
醜女だけならまだしも南風は性格も最悪だったようです。残忍な彼女は気の弱い皇太子をいいように操っていました。
南風は皇后に立てられますから以後は賈皇后と呼びます。
賈皇后は朝廷の権力を握るためにまず楊太后(武帝の正室で恵帝の母)の一族で外戚として権勢をほしいままにしていた楊駿を滅ぼそうと画策しました。楊一族のために冷や飯を食っていた皇室の一族淮南王司馬亮、楚王司馬瑋らと結びクーデターを起こします。
楊一族を粛清し今度は司馬亮が権力を握ると、司馬瑋と結託して司馬亮を滅ぼすなどやりたい放題でした。
気が弱く知恵遅れとも噂されていた恵帝はこれに対し何もできません。残忍酷薄な賈皇后を恐れていたのかもしれません。
我が世の春を迎えた賈皇后とその一族でしたが、四人の女子は生まれたものの男子に恵まれませんでした。側室の産んだ司馬遹が皇太子に建てられる事になり彼女は面白くありません。
彼女は陰謀の限りを尽くして皇太子を廃嫡し、自分の息のかかった一族の男子を皇太子に立てようとしますが、これにはさすがに朝廷の群臣達も我慢の限界がきました。
ところが動き出したクーデター計画は止められませんでした。4月夏司馬冏・司馬倫らは挙兵します。これが世に言う「八王の乱」です。八王とは淮南王・司馬亮、楚王・司馬瑋、趙王・司馬倫、斉王・司馬冏、長沙王・司馬乂、成都王・司馬穎、河間王・司馬顒、東海王・司馬越のこと。
諸王の軍勢は都を制圧し、賈皇后はついに捕えられました。皇太子殺害の罪で賈氏一族は族滅、彼女も毒杯を飲む事を強要され殺されます。こうして一人の女性の権力欲のために国家はズタズタにされました。
諸王は権力の座に就くと、今度は互いに争うようになります。その過程で周辺に住む異民族を引き入れたため彼らの力が増し司馬一族は皇帝を次々と挿げ替えながら急速に王朝は弱体化しました。
それにしても一人の女性が一国を滅ぼすのですから怖ろしいですね。傾国の美女の場合、男がそれに溺れて国を滅ぼすケースが多いのですが、色黒の醜女、残忍酷薄でありながら彼女は頭も切れる女性だったのでしょう。惜しむらくはそれがマイナス方向に働いたために自分が滅ぶとともに国まで滅ぼす結果になりました。