鳳山雑記帳はてなブログ

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西洋銃砲と幕末諸藩

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 幕末を描いた小説、ドラマ、映画を見るとガトリング砲とかアームストロング砲などが良く出てきます。しかもそれら新式銃砲の使い手は主に薩長土肥を中心とする西国雄藩、幕府歩兵隊などが主で、それら以外の諸藩は旧式の火縄銃と昔ながらの甲冑を着て戦していたようなイメージがあります。


 実際調べてみると北陸・東北諸藩でもさすがに火縄銃が時代遅れだということは分かっていました。しかし多くの藩では西洋の情報に詳しい者がいないため火縄銃(マッチロック式マスケット銃)の発火装置をフリントロック(燧石)式に変えただけのゲベール銃を西洋の最新式銃だと有難がって採用しただけでした。


 ようは旧式武器の在庫一掃を企む西洋の武器商人に騙されたわけですが、西国雄藩はさすがにしっかりしていました。おそらく自藩の抱える蘭学者、洋式医者、留学生などから情報を得ていたのでしょう。


 ゲベールと同様先込め式でありながら銃身にライフリングを施したミニエー銃や、先進的な元込め式のスナイドル銃を採用できたのは情報に関する感度が深かったためと言えます。

 その中でも佐賀藩などは当時最新式の野砲だったアームストロング砲を買ったばかりか、自藩でも製造するくらい進んでいました。もっとも工作機械などの関係でオリジナルよりは能力は劣ったそうですが…。


 東国の諸藩の中では越後長岡藩河井継之助だけが違っていました。おそらく生来の探究心、好奇心があったのでしょう。長崎に遊学して知識に触れたのかもしれません。聡明な性質でもあった彼は、当時日本で数門しかなかったガトリング砲を二門も購入しています。武器商人ははじめ幕府にこれを売りつけようとしました。しかし幕府があまりに高価なのを嫌って断ったという経緯がありました。

 河井はこれに目をつけ藩の美術品など財産を売り払って作った金でこれを購入します。また同時にフランス製の最新式小銃(シャスポー銃か?)も2000挺購入しています。


 長岡藩が小藩ながら薩長に頑強に抵抗できたのは、河井継之助が作り上げた西洋式軍隊があったからでした。


 私は基本的に勤皇贔屓なのですが、もし幕府に危機感と情報に対する感度があったらガトリング砲を購入していたでしょう。長岡藩ができたんですから幕府ができないはずありません。金が足りなかったらそれこそ徳川埋蔵金を掘り起こしてでも買うべきでした。


 もともと西洋式軍隊を最盛期には六千人も持っていたんですから、知らなかったでは済まされませんよ。お金をケチったんでしょうな。


 すでに幕府の体質そのものが腐り、滅びの道をまっしぐらだったんでしょう。



 薩長と幕府方の勝敗の差は、西洋に近く、砲火も交え(薩英戦争、馬関戦争)危機感を持っていた者と三百年の太平にのほほんとしていた者の差だと思います。