鳳山雑記帳はてなブログ

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『Ⅴ号戦車パンター』(独)

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 第二次大戦初頭破竹の進撃を続けていたドイツ装甲部隊でしたが、独ソ戦が始まるとその様相に陰りが生じます。

 ソ連の送り出してきたKV-1やT-34などの新鋭戦車に、それまでの主力だった傾羸鐚屬任六?立たなくなってきたのです。弦羸鐚屬任気┐眞史た箸裡瞳燭泙任魯熟∪鐚屬僚伝?辰紡亶海任ず、急遽長砲身75佶い鯀??靴寝?彪燭鯏蠧?擦兇襪鯑世泙擦鵑任靴拭

 対応に苦慮した陸軍首脳の中には、捕獲したT-34をそのままコピーして生産しようという意見もでたくらいです。

 たしかにT-34はそれまでの戦車を一気に旧式化するほどの優秀戦車でした。幅広の履帯による不整地走破性、傾斜装甲と理想的避弾径始による防御力の高さ、高初速の主砲76.2佶い旅況睥蓮△修靴55/hという高い機動力、走・攻・守三拍子そろった名戦車です。

 戦車戦術の父、ハインツ・グデーリアンはしかしこのコピー案を退けT-34の特長を受け継ぎそれを凌ぐ新戦車の設計を命じました。

 それが更羸鐚屮僖鵐拭次扮儻貽匹潺僖鵐機次砲任后T-34を超える強力な70口径75佶い鯏觝椶掘△修譴泙任離疋ぅ沈鐚屬蕕靴らぬ傾斜装甲、避弾径始を有した洗練された車体を持っていました。

 その力は、遠距離から当時のどの戦車の装甲も撃ち抜く攻撃力を持ち敵戦車の接近さえ許さなければ無敵の防御力を持っていました。

 ただ、初めて大規模に投入されたツィタデレ(城塞)作戦【クルスク機甲戦1943年8月】で最初の量産型であったD型は初期故障が連発し、カタログデータ通りの力を発揮できませんでした。

 ドイツ技術陣は、この戦訓を生かし駆動系やキューポラ(戦車の砲塔上部の司令塔)など問題点を改良したA型を送り出します。ドイツ戦車兵も乗り方に習熟してきたパンターは、弱点だった側面装甲と防盾の耐弾性を向上したG型まで文字通りドイツ装甲部隊の主力として6000両以上生産されます。


 パンターもまたいくつかの派生型があります。そのシャーシを流用し固定戦闘室にティーガー兇汎韻71口径88佶い鯏觝椶靴振力な駆逐戦車ヤークトパンター、対空戦車クーリアンなどです。


 さらに、より防御力の高いザウコフ型防盾と新設計の小型砲塔を装備したF型、それをもとに71口径88个防霑?化したパンター兇計画されますがこれは実戦には参加しませんでした(非公式資料にはF型数両が実戦参加したとの報告あり)。

 ドイツ軍はパンターをもとにE-50という将来装甲部隊の主力を担う戦車まで計画するという入れ込みようです。


 パンターはこれほど優秀な戦車でしたが、複雑な千鳥転輪などドイツ整備陣でなければ手に負えませんでした。戦後当戦車を接収したフランス陸軍も整備の難しさから投げ出したくらいです。


 連合軍もこのパンターを脅威に感じていたそうです。パンター1両破壊するのにシャーマン戦車5両の犠牲が必要との統計もあります。


 これほど高性能のパンターでも戦局が覆らなかったのは、ドイツ技術者らしい複雑な技巧を凝らしたからだったとも言えるでしょう。確かに性能は優秀でも量産性で連合軍の各戦車に劣りました。


 戦争に勝つには、そこそこの性能で高い量産性を持った戦車を大量に持つという割り切り方が必要だったのでしょう。その意味ではソ連のT-34はそれを高いレベルで実現した名戦車だったと言えます。



【性能諸元】

全長 8.66 m
車体長 6.87 m
全幅 3.27 m
全高 2.85 m
重量 44.8 t
懸架方式 ダブルトーションバー方式
速度 55 km/h(整地)
33 km/h(不整地)
行動距離 250 km
主砲 75 mm Kw.K.42 L/70(79発)
武装 7.92 mm MG34機関銃×2(4,200発)
装甲 砲塔前面110 mm 傾斜11°
側・後面45mm 傾斜25°
車体前面80mm 傾斜55°
側面40mm 傾斜40°
後面40mm 傾斜30°
エンジン Maybach HL230P30
水冷4ストロークV型12気筒
700 hp (520 kW)
乗員 5 名