鳳山雑記帳はてなブログ

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阿蘇を堪能する   第一回 竹迫(たかば)城編

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 この週末、喘息のリハビリも兼ねて念願の宝来宝来(ほぎほぎ)神社に参拝するべく阿蘇にいってきました。実家の玉名から阿蘇に向かう最短距離は国道208号線から3号線に合流するところをまっすぐ突っ切って合志(こうし)市から大津町に抜け57号線から阿蘇に入るというルートです。


 途中、合志市で一度是非訪れてみたかった竹迫(たかば)城跡を探すことにします。実は十年ほど前、竹迫城を見つけるべく挑戦したんですが、近くまで行きながら発見できず断念したことがありました。そこで今回は気合を入れて現地に向かいました。


 よく分からない案内板を頼りに現地に向かうと公園らしきものを発見。城跡の看板はなかったのですが両側を深い谷に挟まれなかなかの要害の地にたっていたので、ここが城跡かと思い散策してみることに。

 本丸らしきものもあり、ひとまず半信半疑ながら帰りました。ただせっかくだから、もう少し先に行ってみようと田舎道を車で走らせると左手に橋らしきものがあり、そのさきに大規模な丘陵がありました。そして、そこに竹迫城跡の看板が!


 えっ?じゃあさっきのはなんだったの?とにかく入ってみることに。橋の近くには駐車場がなかったので、城跡を左に見ながらぐるっと周囲を回り南側斜面の麓にやっと駐車場を発見しました。

 さっそく探検開始!思ったより大規模だったことに驚きました。私が訪れた熊本の中世城跡のなかでは最大規模です。
 本丸跡は楕円形になった山頂部の削平地です。麓から比高30メートルはあるでしょうか?さすがは肥後の有力国衆、合志氏の居城だけのことはあります。

 本丸跡から下を眺めると、雄大な景色に大満足。下のほうでは地元の子供達がサッカーに興じていました。ボールが斜面を転げ落ちています。(あの子供達の先祖はこの城に篭って島津の大軍と戦ったんだなあ)などとしばし感慨に耽りました。


 大満足のうちに山を降り、本来の目的の阿蘇に出発しました。でも初めの城跡らしきものは何だったんでしょうか?私が考えるにあそこも城の縄張りの一部だったのではないかと。だって私が城跡と勘違いするほどの要害だったんですから(笑)。




【竹迫城観光案内より】
 竹迫城(たかばじょう)は、現在の熊本県合志市(旧菊池郡合志町)上庄にある城址。合志城とも呼ばれ、その他に蛇尾城・穴の城・上庄城の別名もある。市の史跡。
 鎌倉時代初期から戦国時代末期までの約400年間、肥後国合志郡における政治・軍事の中心であった。築城から戦国時代初期までを竹迫氏、それ以降は合志氏が居城とする。 川沿いの丘陵を利用して造られた中世様式の城で、土塁と空堀によって郭が形成されており石垣は見られない。 城の縄張りは東西1,800m×南北1,400mとされる。中央の最高所に位置する本丸跡は楕円形(50m×30m)の平坦地となっている。