鳳山雑記帳はてなブログ

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釈尊の生涯

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 紀元前5世紀頃、今のネパールにあたる地域にシャカ族がカピラバストゥウという小国を建国していました。時の王、シュッドーダナ(浄飯王)に嫡子にあたる赤ん坊が誕生します。
 このときカピラバストゥウを訪れていた聖者、アシタ仙人は生まれたばかりの赤ん坊の姿を見て涙を流して喜んだと言います。

 ゴータマ・シッダルタと名付けられた赤子は、右手を上に上げ、左手を下に下げていました。上は天を表し、下は地を表します。「天上天下唯我独尊」(我は最も尊い者)を示したその姿に感動したアシタ仙人は予言しました。
「この子は王位を継げば世界を統一する天輪聖王となる。出家すれば世界を救う聖者になるであろう。」

 もとよりこの逸話は伝説に過ぎないでしょうが、長ずるにつれてシッダルタ王子は聡明な天分を発揮して周囲の期待を集めます。当時インドは十六国時代といわれる戦国時代で、マガタ国、コーサラ国という二大強国の対立に諸国は翻弄されていました。
 
 しかし、あるときシッダルタ王子は馬に乗って城の東門をでます。そこで老人に出会いました。次に南門では病人、西門では死者と出会います。最後に北門で出家者とであったことで人の世の儚さを悟った王子は出家を決意したと伝えられます。(四門出遊

 結婚して子供まで設けた王子でしたが、出家の志棄てがたく、ついに29歳の時妻子を棄て出家を果たします。厳しい修行を繰り返していたシッダルタは、次第にこのやり方に疑問を感じガヤー村のヒッパラの樹(菩提樹)の下で49日間の瞑想行に入ります。そして12月8日未明悟りを開きます。シッダルタ35歳のときでした。後にこの地はブッダが悟った地ということでブッダガヤと呼ばれるようになりました。ちなみにこの日は成道会(じょうどうえ)と呼ばれる仏教徒の祭日です。

 悟りを開いたシッダルタ(以後ブッダと表記)はこの教えを世に広めることが自分の使命だと考えました。彼の悟った内容は、簡単に言うと
1、生命は皆平等である。
2、生きとし生けるものはみな繋がっている。
3、人は自らが行った行為によって運命が決まる。(善因善果、悪因悪果。=カルマの法則)
4、人は誰でも悟りを開くことで輪廻の鎖から解き放たれることができる。

 その方法論として「四諦八正道」を説きました。
 八正道とは、正見・正私意・正語・正業・正精進・正命・正念・正定です。これらの道の一つだけでも徹底して行う事で正しい生き方ができ、瞑想をすることで悟れるというものです。
 もともとの釈尊の思想は、在家での悟りを前提にしていたことが伺えます。昨今はやっている現世利益で信者を集めている新興宗教がいかにいかがわしいか、これで分かるでしょう。超能力など必要ないのです。明るく、正しく、素直に生きれば人は必ず救われるのですから。

 ブッダの説いた仏教は、カースト制度に苦しめられた庶民の間に広がり、後にインドを統一したマウリア朝のアショカ王の時代には国教となるほど興隆しました。しかし、インドではアーリア人民族宗教とも言うべきバラモン教から発展したヒンズー教に押され現在はインド本国に信者はほとんどいません。ところがシルクロードや海のシルクロードによって伝わった仏教は、東南アジアを中心に世界中で4億の信者がいます。人はどう生きるべきか?を説いた仏教は、これからも多くの人を惹きつけるでしょう。

 求道と伝道の生涯を貫いたブッダは、80歳で入滅するまで旅を続けました。その歩みは今も多くの信者に受け継がれ、今後も続いてゆくでしょう。