鳳山雑記帳はてなブログ

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シナ共産党政府の内モンゴル弾圧問題、モンゴル民族が一つにならなかったのに別の側面もあるようです。

【中国の内モンゴル自治区】教育をモンゴル語から中国語に 住民抗議か

 

 先日、シナ共産党政府の内モンゴル弾圧、民族浄化問題に関し当事者である内モンゴル出身のモンゴル人の方が出演していた動画を見ました。チベットウイグルに続き内モンゴルでも明らかになった深刻な人権侵害。ではどうして内モンゴル外モンゴルである現在のモンゴル国(1992年モンゴル人民共和国から改称)と合併できなかったのか疑問に思いました。

 モンゴル人の方は、外モンゴル内モンゴルは一緒になれない事情があるんだと説明されていました。というのも外モンゴルはハルハ部、内モンゴルはチャハル部で同じ民族ながらもともと深刻な対立があったそうなのです。歴史に詳しくない方にはチンプンカンプンだと思うので簡単に説明すると、1368年元朝が滅亡しモンゴル人たちは故郷モンゴル高原に戻って北元となりました。明朝はこの勢力を韃靼と呼んで蔑みます。またタタールという呼び名もあります。

 内紛の末モンゴル民族を再統一したダヤン・ハーン(1473年~1516年)は、モンゴル高原をいくつかのトゥメン(万人隊)に組織します。そのうち有力なったのがダヤン・ハーンの嫡孫(長男トロ・ボラトの子)ボデイ・アラク・ハーンを始祖とし内モンゴルを勢力下に治めるチャハル部と、ダヤン・ハーンの第5子アルジュボラトを始祖としモンゴル高原東部を勢力としたハルハ部でした。

 同じチンギス・ハーンを先祖と仰ぐ直系の黄金氏族を誇りとする集団として近親憎悪に近い対立をします。チャハル部は嫡流であることから正当な黄金氏族を主張し、対してハルハ部はモンゴル民族の発祥の地モンゴル高原の支配者としてこちらも正統を主張しました。ですからハルハ部が中心となって設立したモンゴル人民共和国とチャハル部の内モンゴルは合併したくてもできなかったそうなのです。この指摘は目からウロコでした。

 この対立をシナ人民共和国が利用し、内モンゴル自治区として取り込んだそうです。そして意外にもモンゴル国のモンゴル人320万人に対し内モンゴルに住むモンゴル人は580万人でこちらの方が多いのです。ただ内モンゴルは漢族の人口が圧倒的に多く自治区の総人口2625万人の8割は漢族です。内モンゴルは漢族の農民が多数入植し牧草地を耕して農地にしています。ですから本来の住民であるモンゴル人たちは、遊牧地を追い出されるという本末転倒な状況になりました。

 おそらくシナ共産党政府は内モンゴルのモンゴル人たちを民族浄化で完全に駆逐し漢族の土地にするつもりなんでしょう。その一環がモンゴル語教育の禁止なんです。また日本ではほとんど報じられませんが、チベットウイグル同様内モンゴルでもモンゴル人たちが弾圧されています。

 内モンゴル問題は本当に難しい。チベットウイグルは独立さえできたら問題は解決(現実的には非常に困難ではあるが…)ですが、内モンゴルはもし独立できても根本的問題解決にはさらに長い時間がかかりそうです。それだけシナ共産党政府の犯してきた罪は世界史レベルの凶悪さだという事なんでしょう。