ここに出典は忘れましたが、興味深いエピソードがあります。
- あるモサド(イスラエル情報機関)長官と情報部員の会話 -
部員「長官、エジプト空軍基地の写真撮影に成功しました!」
長官「ふむ、手の込んだ偽装だな。この路上駐機してあるミグなど、本物そっくりじゃないか?」
部員「…本物です。」
長官「……」
この後、二人はイスラエルの敵がこのような国であることを、神に感謝したということです。
第1次中東戦争で故郷を追われたパレスチナ人のうち、1964年、ヨルダンの首都アンマンで「パレスチナ解放機構」(PLO)が結成されます。1966年2月には、シリアにおいて、クーデターが勃発、PLO支持のアタシ政権が成立しました。
シリアはゴラン高原から、イスラエル領を砲撃、上空でも空中戦が起こります。イスラエル空軍機は、シリア機を撃墜すると、首都ダマスカス上空で悠々と旋回して帰還しました。
アラブ側には、ソ連がついていました。KGBは、イスラエルが戦争準備しているとシリア・エジプトにしらせどんどん武器援助していました。このときまだイスラエルは準備に入っていなかったそうですが、モサドの情報で、国境付近に敵部隊が集結中である事を掴み先制攻撃を決意します。
(航空奇襲)
1967年6月5日払暁、エジプトの主要空軍基地は超低空飛行でレーダー網をかいくぐったイスラエル空軍機の奇襲を受けます。不意を衝かれたエジプト軍は、なすすべも無く戦闘機を地上で破壊されました。同じころ、シリア・ヨルダン・イラクもイスラエル空軍の奇襲を受けていました。
緒戦でイスラエル軍は、敵機を地上だけで410機も破壊します。何機かは迎撃に上がったのですが、待ち構えたイスラエル軍機に撃墜されました。これで制空権は完全にイスラエルのものになります。空軍は地上支援だけに専念すればよくなりました。
(エジプト、シナイ半島方面)
イスラエル陸軍は、3個機甲師団を中核とする部隊で、三方向からシナイ半島に侵入します。ソ連式の複廓陣地に苦戦しながらもスピードでエジプト軍を圧倒。はやくも6月7日には、スエズ運河東岸に到達します。
(中央戦線)
敵はヨルダン軍でした。頑強に抵抗するヨルダン軍守備隊を撃破し、エルサレム旧市街を占領。ヨルダン川西岸から敵を追い落とします。
(シリア・ゴラン高原方面)
ここを守備するシリア軍は8個歩兵旅団、戦車750両、火砲265門。対するイスラエル軍は半分以下の3個旅団しかありませんでした。しかし、制空権を有し、航空支援の下、熾烈な機甲戦を制しついにゴラン高原を占領します。
(終結)
6月8日、エジプト・ヨルダンは国連の停戦決議を受け入れます。戦いをやめようとしないシリアも、首都ダマスカスを脅かされるようになると、6月10日午前5時、ついに停戦に同意しました。
イスラエルは、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原を得て、実に開戦前の4倍に国土を拡げます。この戦争の勝因は、兵の士気、兵器性能の優越など色々言われていますが、なんといっても開戦直後の航空奇襲でしょう。それと、航空攻撃とミックスした機甲部隊による電撃戦。相手が戦う態勢になるまえに、あっという間に勝負をつけたスピードが勝利をもたらしました。
開戦が6月5日、停戦が6月10日、つまりたった6日間で決着がつきました。数に劣る側が、これほど短期間で戦争に勝利した例は、世界史上でも他に記憶がありません。
しかし、この勝利がイスラエルに慢心を生みます。特にエジプトはこの敗戦を研究しました。それが第4次中東戦争での苦戦となるのです。