
日本は火山国なので硫黄は豊富にあります。森林資源も豊富なので木炭もあります。ただ一番重要な硝石は輸入に頼らざるを得ませんでした。九州の大名が切支丹になったのも硝石をポルトガル船から確実に輸入するという目的が大きかったように思えます。
実はヨーロッパでも硝石が無尽蔵にとれるわけではなく、牛馬の糞と魚の腸を混ぜて寝かし一~二年で硝石培養土を作って取り出していたそうです。硝石つまり硝酸カリウムは土壌中の有機物や排泄物に含まれる尿素、そしてそれが分解して生じたアンモニアなどの窒素化合物がバクテリアの亜硝酸菌や硝酸菌が分解する過程で、アミノ酸態やアンモニウム態の窒素化合物が硝酸イオンに酸化され、カリウムイオンと塩を形成することによって得られます(このあたり、完全にウィキペディアのパクリ)。
東南アジアでは蝙蝠が住む熱帯雨林の洞窟などで大量の糞で自然に形成された天然硝石が取れたと言います。
原理を知ってしまえば日本でも製造できるということで、古土法、培養法で硝石が作られました。古土法は『何十年かたった古民家の床下の土を集め、温湯と混ぜた上澄みに炭酸カリウムを含む草木灰を加えて硝酸カリウム塩溶液を作り、これを煮詰めて放冷すれば結晶ができる。この結晶をもう一度溶解して再結晶化させ硝石を得る製法』(このあたり専門用語はすべてwikiから。素人では分かりません)。
一方培養法はヨーロッパの製造法に近いやり方で自然の草(ヨモギ、しし独活、麻殻、稗殻…など)を雨露のかからない場所に人間の尿をかけて10日間ほど蒸し腐らせます。同時に家の床下などに作硝ムロを作り尿や蚕糞で腐らせた草を土と交互に積み重ねます。数年すると化学変化を起こし硝酸石灰を含んだ土ができます。こうして作った塩硝土に水を加え煮詰めると硝石ができるそうです。効率はこちらの方が上でした。
培養法での硝石作りが盛んな地域は越中の五箇山(富山県南砺市)や加賀国白山地域、飛騨国などでした。日本史に詳しい方ならピンとくるかもしれませんが、一向一揆が盛んな地域と被ります。一向一揆は農民を大量に動員するため鉄砲のような一定の訓練を積めば誰でも戦力化できる兵器が有用だったのです。
ただ国内生産では硝石需要は追いつかないので、ポルトガルあるいはオランダとの交易が重要だったのでしょう。堺商人や博多商人の台頭も納得できますね。