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房総戦国史Ⅴ  亨徳の乱

 

 将軍足利義教の横死によって奇跡的に死罪を免れた成氏(しげうじ)。今度は運命の変転によって第五代鎌倉公方となることができました。しかし、父と兄たちを死に追いやった上杉一族に対する恨みは消えておらず、関東管領上杉憲忠(憲実の長男)を疎んじます。ばかりか、兄たちを守って滅亡した下総結城氏の遺児成朝(持朝四男)を取り立て結城家を再興させました。

 当時関東管領山内(やまのうち)上杉氏は上野・武蔵の守護、庶流の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏も相模・伊豆の守護をしており関東最大の勢力でした。当時の石高は分かりませんが参考までに太閤検地(1598年)の数値を紹介すると上野国四十九万六千石、武蔵国六十六万七千石、相模国十九万四千石、伊豆国六万九千石と伊豆以外は豊かな国です。これとは別に越後も同族の越後上杉氏が守護でした。鎌倉公方足利成氏の気持ちは理解できますが、上杉一族の棟梁憲忠を蔑ろにするのは自殺行為に等しかったのです。

 さすがに山内上杉憲忠は、不満は抱きつつも直接行動すれば再び大乱が起こるという自制心は持ち合わせていました。しかし主君の心を臣下は理解していなかったものと思われます。関東公方が主君憲忠を蔑ろにしていると怒った家宰の長尾景仲は同じく扇谷上杉家の家宰太田資清と語らって1450年(宝徳二年)4月、突如鎌倉の成氏邸を襲いました。不意を突かれた成氏は、慌てふためき海路房総半島に逃れます。

 まもなく鎌倉近郊で下総守護千葉胤将(千葉氏17代、不明~1454年)の軍が長尾・太田連合軍を撃破したことで和議が成立、8月成氏は鎌倉に帰る事が出来ました。以後鎌倉公方と上杉一族は冷戦状態に陥ります。そして1454年(亨徳三年)12月、成氏は突如結城・里見・印東・武田の諸氏に命じ鎌倉における上杉憲忠の屋敷西御門の館を襲わせました。不意を突かれた憲忠は抵抗むなしく殺害されます。

 これで上杉一族は鎌倉公方成氏と完全に敵対関係になりました。関東の武士たちは鎌倉公方方と関東管領方に分かれて互いに争います。だいたいの勢力分けは西半分(上野・武蔵・相模)が関東管領方、東半分(安房・上総・下総・常陸・下野)が鎌倉公方方でした。関東管領山内上杉憲忠の横死は京都の室町幕府に衝撃を与えます。幕府は鎌倉公方よりも関東管領を信頼しており、むしろ鎌倉公方の暴走を抑える役目を負わせていました。

 幕府は、駿河守護今川範忠に命じ成氏を討たせます。関東の騒乱によく駿河の今川氏が出てきますが、幕府は足利一門の今川氏に関東の目付役を任せていたからでした。関東と違い今川氏の駿河支配は安定しておりこういった幕府の命令にも応えることができたのでしょう。今川氏が戦国時代強大化した理由も分かりますね。

 今川軍は、箱根を越え1455年(康正元年)6月鎌倉に乱入します。関東の方が兵力も多く有利なはずですが、こうも簡単に敗れるのは今川軍が統一された精強な軍なのに対し公方軍は各豪族の寄せ集めだったからでしょう。鎌倉を失った成氏は、下総古河に逃亡します。そして古河を本拠として活動し鎌倉復帰を願って戦い続けますがついに実現しませんでした。以後の成氏とその子孫を古河公方と呼びます。

 成氏が起こした戦乱を亨徳の乱と呼びますが、この戦いは長引きついに決着を見ることはありませんでした。史家の多くは亨徳の乱が関東における戦国時代の幕開けだと考えています。成氏の古河逃亡に先立つ1455年(亨徳四年)3月、八代将軍足利義政は、憲実の次男で上洛して近臣として仕えていた山内上杉房顕(1435年~1466年)を兄憲忠の後を受けた関東管領に任命し関東に下向させました。

 本国上野の平井城に入った房顕は、兄の敵古河公方成氏と戦います。本来なら宗家山内家と対立関係にあった扇谷上杉氏も共通の敵古河公方に対しては共同して当たりました。今回は成氏にも結城氏や下総千葉氏ら強力な味方がおり戦いは一進一退を続けます。

 京の幕府は、謀叛人成氏を鎌倉公方と認めず義政の異母兄政知(1435年~1491年)を新たな鎌倉公方として派遣しました。1458年(長禄二年)のことです。しかし鎌倉は古河公方方と関東管領方の激しい争奪戦が繰り返されており政知は関東に入ることができず伊豆国堀越に留まり仮の御所を設けました。ところが戦乱は収まらなかったため堀越御所は永続します。これを堀越公方と呼びます。

 関東には古河と堀越の二人の公方が並び立つ異常事態になりました。さらに、古河公方方との戦闘が一段落つくと今度は山内上杉氏と扇谷上杉氏が関東の覇権を巡って争い始めます。関東の秩序はこれによって崩壊、下剋上の戦国時代が到来しました。その典型的な例が上総武田氏と安房里見氏です。

 次回は上総武田氏と里見氏の台頭を描きます。