開戦劈頭、未成年王カール12世はまず一番近いデンマークに標的を定めます。デンマーク軍主力がホルシュタインを攻めるためユトランド半島南部に集結しているという報告を受けるとイングランド・オランダの援助を受けデンマークの本拠シュラン島に奇襲上陸、首都コペンハーゲンを襲いました。
次にカールは、エストニアにおけるスウェーデンの拠点ナルヴァ要塞を攻囲するロシア軍に目標を定めます。ナルヴァの1万のスウェーデン軍はピョートル大帝率いる4万のロシア軍の攻撃を受けていました。堅固な要塞とはいえいつまでもロシア軍の猛攻を支えきれるものではありません。
1700年11月、カール率いるスウェーデン軍精鋭8千は猛吹雪を衝いてロシア軍の本営を急襲、まさかこの猛吹雪の中戦闘はあるまいと油断しきっていたロシア軍は大混乱に陥りました。ピョートルが間違った情報を信じてノブゴロドに向かっていたという不幸も重なり死傷者6000、捕虜10000という壊滅的打撃を受けてロシア軍は敗退します。
一方スウェーデン軍の損害は死傷者2000余り。圧勝でした。しかしここでカールは致命的な失策を犯してしまいます。ロシア軍は二度と立ち上がれまいと判断し主敵をザクセン・ポーランド・リトアニア連合軍に定めたのです。
が、その後の歴史を知っている現在のわれわれから見るとこの時ロシアに止めを刺さなかったことが後の強大なロシア帝国を生みだす結果となったのだと歯がゆく思うのです。
ポーランドは講和と中立を持ちかけますが、カールはこれを拒否逆にアウグスト2世の退位を要求しました。さすがにこれを受け入れるわけにはいかないアウグストは、カールとの交渉を決裂させます。
1702年カールはポーランドに侵入、クリシュフの戦いでポーランド・ザクセン連合軍を撃破しました。スウェーデン軍はポーランド各地を転戦し、たまらずアウグストは1706年アルトランシュテット条約で屈服します。
まともに戦ってはスウェーデン軍に勝てないと悟っていたピョートルはロシア軍の得意技焦土作戦でスウェーデン軍を苦しめます。戦闘には勝っても補給に苦しむスウェーデン軍は広大なロシア平原に飲み込まれ疲弊していきました。
敵がすっかり弱ってきたと判断したピョートルは、1709年7月初めて正面からカールに挑戦しました。両軍は東ウクライナのポルトヴァで激突します。慎重なピョートルは自軍が質で劣っている事を自覚し25000のスウェーデン軍に対し45000の兵力を集めたそうです。
この日のために兵力を鍛えていたピョートルの努力はやっと報われました。さしもの精鋭スウェーデン軍もこの時はロシア軍の猛攻を支えきれず潰走します。
退路を断たれたカールは、戦場から近いオスマントルコに亡命しました。国王のいなくなったスウェーデンに怖い者はいません。ピョートルは軍をフィンランド・リヴォニアに進めこれを占領します。カールもオスマン朝のスルタンを動かしロシアに宣戦布告させましたが戦争の帰趨はすでにピョートルのもとに去っていました。
オスマン朝とロシアの戦争も勢いづくロシアが優位に進め、カールは失意のうちに1714年帰国の途につきました。スウェーデンの劣勢を見たデンマークのフレデリック4世は、それまでの中立を破りピョートルの要求を受け再びスウェーデンに宣戦布告しました。
悪い事は重なるもので、それまで同盟関係だったイングランドが1714年スチュアート朝断絶ハノーヴァー朝成立によって同盟関係を解消、ポメラニアを狙っていた新興国ブランデンブルグ=プロイセンも連合軍に加わりスウェーデンは完全に孤立します。
それでもカールは不屈の闘志を持って戦争を続けました。そして1718年11月30日デンマーク領だったノルウェー(デンマークとは同君連合)のフレデリクスハルド要塞攻囲中、流れ弾によって絶命します。享年36歳。
カール12世は、スウェーデン・バルト帝国最後の輝きでした。以後スウェーデンが歴史の主役に躍り出る事はありません。代わって台頭してきたのがロシア。カールとピョートルの明暗はナルヴァの戦いの直後に分かれたと思うのは私だけでしょうか?
最後に私の好きなエピソードを紹介してこの頁を終わろうと思います。
それを聞いていた一人の老婆が述懐します。「カールという王様は恰好良かったよ。透き通るような青い目をしてね…」
若者「またまた。お婆さん見てきたような事を言って」
老婆「いや嘘じゃないよ。カールさんはうちの家に4日間泊ったんだ。その時父親がね『ステファン・バートリやヤン・ソビエスキーに匹敵する偉人だからよく見ておくように』と言うんだよ。だから覚えているのさ」
若者「お婆さん、貴方いったいいくつなんです?」
老婆「私は今年で110歳さ。ちょうど11歳の時(1708年)にカールさんを見たんだ」
このエピソード、実話かどうかわからないんですが情景が浮かんできますね。まるで一遍の詩のようです。カール12世の短くも激しい一生を象徴しているようで私はとても好きです。