古代においては特に文字をもたない彼らの歴史は、その周辺に位置する農耕民族の記録に頼るしかありませんでした。西洋ではオリエント諸国、ギリシャ、ローマ。彼らの史書によってスキタイという有力な遊牧騎馬民族が浮かび上がってきます。東洋においても然り。おもに中国の歴史書に記されています。東洋でも匈奴、鮮卑などが強大な勢力を築き、一時は中国を支配する事さえありました。
もちろん農耕民族は略奪など被害を受ける側でしたから、これら遊牧民族を文化程度の低い凶暴な民族として悪いイメージでしか描いていません。確かに生産手段を持たない彼らは交易に頼るか略奪しかないのでそう描かれても仕方ない一面はありました。
遊牧騎馬民族のなかでまず最初に中国の史書に現れるのは東胡(とうこ)という民族です。それ以前も狄など遊牧民族に近いと想像される異民族はいましたが、はっきり遊牧民族として支那人が認識したのは東胡が最初だったと思います。
東胡はツングースの音訳とも言われる通り、ツングース系民族だとされます。匈奴よりもさきに強大化し戦国時代当時の燕、趙、秦の北辺を脅かします。後に強大化する匈奴さえ、英雄冒頓単于が登場する以前は東胡に服属するほどでした。
例えば匈奴の末裔と言われるフン族を見てみましょうか。イメージ的にはモンゴル系の顔立ちをした集団だと思いがちです。しかし実態はモンゴル系もいればコーカソイドもいるし、セム系もいるといった雑多な集団だったと考えられています。
といいますのも、遊牧民族はすぐれた指導者がいれば民族に関係なく集まってきて集団を形成するという傾向があるのです。そうでないと厳しい草原で生き残っていけません。
古代満州の地にいた扶余族も鮮卑や契丹が強大になるにつれ生き残りのために合流したか、武力で吸収されたかどちらかだったと思います。一説では扶余の言語と鮮卑の言語が似ていたという説もありもともとは鮮卑もツングース系であったことの傍証になるかと愚考します。
かつてモンゴル高原の主人公は突厥(とっくつ、とっけつ)でした。Turuk(チュルク)の音訳でしょうから、これはトルコ民族でした。蒙古がモンゴル高原の主人公になるのはチンギスハ-ン登場まで待たなければなりません。丁零、鉄勒も支配した一族が違うだけでトルコ民族である事は変わりません。名前の違いは時の中国王朝の当て字の違いです。ちなみに鉄勒から出たというウイグルもトルコ民族の一派です。突厥以前に、匈奴、鮮卑、柔然があるじゃないかと思った皆さん。貴方がたは歴史通です!
ただ、かれらはたしかにモンゴル高原を勢力範囲に収めていましたが本拠地としてはやや南、中華文明に近いところに置いていたふしがあります。モンゴル高原を発祥の地とし本拠地として草原とシルクロードを支配することによって日本海からカスピ海にまたがる大帝国を築いたという意味では突厥が最初だったと私は考えています。それまでの遊牧国家は中国文明との関係でしか成り立っていませんでしたから。
こうしてトルコ族の故地であったモンゴル高原は、文字通りモンゴル人の土地となりました。