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仙台伊達藩の財政事情

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 一つのことを調べると、その関連に興味が次々と移っていく悪い癖を持つ私。戦国時代そのままの地方知行地制を最後まで残していた佐賀鍋島藩を記事にしたので、東国の雄藩、仙台伊達家はどうだったのかと疑問に思い調べてみることにしました。


 一説では、有名な伊達騒動原田甲斐の謀反は中世的な地方知行制を近世的な蔵米知行制に切り替えようとした改革の失敗の結果だったのではないかとも言われています。


 仙台藩佐賀藩に負けず劣らずの一門、重臣が領内各地に割拠しています。ウィキペディアから主なものを拾い上げると

◆一門

 ◇角田石川家(陸奥角田領(要害)2万1380石・筆頭) 

 ◇亘理伊達家(陸奥亘理領(要害)2万3853石・第二席。維新後男爵)伊達成実の子孫

 ◇水沢伊達家(陸奥水沢領(要害)1万6135石・第三席)留守政景の子孫

 ◇涌谷伊達家(陸奥涌谷領(要害)2万2640石・第四席) 

 ◇登米伊達家(陸奥寺池領(要害)2万石・第五席) 

 ◇岩谷堂伊達家(陸奥岩谷堂領(要害)5015石・第六席)

 ◇宮床伊達家(陸奥宮床領(所)8017石・第七席)

 ◇岩出山伊達家(陸奥岩出山領(要害)1万4643石・第八席)

 ◇川崎伊達家(陸奥川崎領(要害)2000石・第九席)

 ◇真坂白河家(陸奥真坂領(所)1043石・第十席)

 ◇前沢三沢家(陸奥前沢領(所)3000石・第十一席)




◆諸侯・一家・準一家・一族など  …全部書くと入りきれないので有名どころだけ

 ◇田村家(陸奥国内1万石(一門)→陸奥岩ヶ崎3万石(諸侯)→陸奥岩沼3万石(岩沼藩))

 ◇白石片倉家(陸奥白石領(城)1万8000石) 片倉景綱の子孫



 その他書ききれないほどいっぱいいます(苦笑)。こりゃ仙台藩も相当財政事情がきつそうですね。

 仙台伊達藩62万石、一説では幕末には実高150万石以上あったとされますが、ここも他藩の例に洩れず莫大な借金を抱え財政は破綻寸前だったそうです。


 参勤交代、幕府のお手伝い普請は外様大名の財力を削ぐための嫌がらせですから、これに仙台藩も苦しめられました。幕府としては目的は十分果たしたのですが、結果論として最後まで幕府に尽くした奥州諸藩の力まで削ぐことになったのは皮肉でした。

 幕府の仮想敵だった薩摩や長州は、同じく大借金に困り果てますがそれぞれ調所広郷、村田清風の藩政改革によって天文学的な借金を清算し、特産品の専売、密貿易(おもに薩摩)などで財を蓄え力をつけましたから何のための大名統制策だったのか分かりません。


 米は相場が変動するため、米に頼りすぎた財政は気候変動などで破綻しやすいものでした。しかも仙台藩をはじめとする奥州諸藩は大飢饉が訪れると農民だけでなく下級武士にも餓死者が出たそうですから、気候的な厳しさもあったのでしょう。

 奥州でも米沢などのように藩政改革の進んだ藩は一次産品だけでなくそれを加工した二次産品を特産・専売し利益を得たそうですが、仙台藩の場合米が取れすぎるためこうした専売品の育成にあまり熱心ではなかったようです。

 仙台藩の専売品は塩、特産品はアワビの干物などだそうですから陶器・漆器・絹織物などの高級布のような利鞘の大きいものはなかったのでしょう。



 米だけで100万石の収穫があったといわれる仙台藩と違って、77万石といわれながらシラス台地で土地が痩せている薩摩藩のほうが、生き残るために米以外の収入を獲得することに熱心だったのかもしれませんね。


 豊かな土地を持っていているのも善し悪しですね。ただ100万石でしかも利鞘の大きい漆器、金象嵌のような特産品を持っていた加賀藩も財政は火の車だったそうですから、なんだかなあって気もします(苦笑)。



 余談ですが、東国では出羽秋田藩が密貿易をしてた疑いがあります。ただしこれは柴田錬三郎の「眠狂四郎」情報ですが(爆)。