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国際旅団とジャック・白井    - シリーズ スペイン内戦⑤完結編 -

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 スペイン戦争が長く語り継がれた理由の一つとして、世界54か国の若者が参加した国際旅団と呼ばれる人民戦線側の義勇軍の存在がありました。

 コミンテルンが主導して世界中から共産主義者の若者たちを集めたのが実態でしたが、なかには思想に関係なく冒険心を満たすために参加した者や、純粋に人民戦線側の正義を信じて参加した者も多かったのです。

 しかし、戦争はそんな甘いものではありませんでした。スペインに来て初めて銃を持った者もいて、人民戦線側では内心持て余していました。どんなに犠牲を受けても自国の人間ではないので、半ば使い捨て感覚で常に危険な戦場に送られました。最大5万はいたとされますが犠牲者も1万を下らないと言われています。


 そんな中、国際旅団の記録に残っている一人の日本人がいました。彼の名はジャック・白井。1900頃日本の北海道函館生まれと言われています。一説では在日朝鮮人ではなかったかともされますがはっきりしません。貧しい家庭に生まれたらしく不遇の少年時代を送ります。1929年、心機一転アメリカに密入国した彼は、船員やパン職人を皮切りになんでもやり必死で働きました。その努力の甲斐あってか料理人としてある程度の成功をおさめます。


 その当時のアメリカ、ニューヨークの日本人社会はいくつかの階層があったとされます。外交官・商社マンなどのエリートが集まる「日本人会」、中産階級の商人たちが集まる「報国会」、そして日本の軍国主義に反対する社会主義系「日本人労働者グループ」です。


 白井は当然「日本人労働者グループ」に入りました。ただその生い立ちからか孤独を好み無口だったそうです。


 スペイン内戦が始まると、アメリカでも共産党がスペインに義勇兵を送ると発表します。すでに白井は30代後半、ホテルの料理人の職を得てアメリカ人の妻もいたらしいのですが、なぜか彼はこの義勇軍に参加します。根っからの冒険心からか、日本人労働者グループを通じて共産主義に共鳴していたのか、謎です。


 若いアメリカ人たちに交じってスペインに入った白井は、厳しい訓練を経て戦場に立ちます。幾度か死線をくぐる中で白井は自分の特技を生かし戦場のコックとして腕を振るい始めます。

 義勇軍の兵士たちにとっては、白井の作る料理が何よりの楽しみでした。戦うために戦場に来た本人は不本意だったでしょうが、兵士たちにとっては士気を鼓舞しにやってくる共産党政治委員の演説よりも、白井の作る戦場で食べるにはもったいないほどの美味しい料理の方が魅力だったのです。


 同じ部隊にいた兵士の証言ですが、白井は部隊の皆から愛され、陽気でいつもニコニコしていたそうです。子供を可愛がりとてもおだやかだったと記憶されています。思うに彼にとってスペインの戦場が一番の生き甲斐だったのかもしれません。孤独に苦しんだ白井にとって仲間というのは何物にも代えがたい良いものだったんでしょう。


 そんな白井にも最期の時がきます。マドリード攻防戦に投入された国際旅団はフランコ軍の激しい攻撃にさらされ苦戦していました。コックの仕事を離れて当初の希望通り銃も持って戦っていた白井は、ある時危険な伝令の役を買って出ます。

 機関銃座に向かって走り出していた白井は、狙撃兵に頭を撃たれ絶命しました。享年37歳であったと伝えられます。


 友軍の兵士たちは「戦うコック」として愛した白井のささやかな墓をたてました。
「ジャック白井。反ファシストの日本人。彼の勇気を称えて。1937年7月11日」これが墓碑です。しかし戦場のこと、今では彼の墓がどこにあったかはっきりとしないそうです。




 当時の共産主義は、自由主義や民主主義とほとんど同義と考えられていました。若者たちは無邪気な正義を信じて過酷な戦場で散っていったのです。これは現在ボランティアなどで海外に出かけていく日本の若者たちとも相通じる何かがあるような気がしてなりません。



 最後に国際旅団がどうなったのか記してこの稿を終えようと思います。1938年エブロ川攻防戦で甚大な損害を出した国際旅団は解散します。若者たちはそれぞれの祖国へ帰って行くわけですが、まず英米は、国禁をおかして義勇軍に参加した若者の帰国を認めませんでした。独伊でもファシスト政権に反対して共産軍に参加したわけですから帰国すれば死が待っていました。

 一部の若者はそのままスペインに残り戦い続けます。残りの者たちはかって人民戦線内閣があって彼らに同情的なフランスに渡ったり、比較的入国審査が緩やかな南米に新天地を求めました。

 スペインに残った者たちは、あるいは戦場に倒れ、あるいは戦後反逆者として処刑されます。アメリカ、イギリスは最後には帰国を渋々認めましたが、その後長く迫害を続けました。
 南米に渡った者たちも、故国へ帰る日を夢見ながら異国の地で生涯を終えます。




 スペインは多くの国民が犠牲になった内戦を忌まわしい記憶として忘れ去ろうとしています。国際旅団が悪と信じて戦ったファシストは滅び去り、自分たちが正義と信じた共産主義もいまでは悪として断罪されています。

 
 だとすると彼らが戦って死んでいったことは犬死だったのでしょうか?私はそうは思いません。後世の歴史では評価が変わったとしても、己が信じる道で死ねたことは彼らにとって幸せだったのだと考えるようにしています。