鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

三菱九六式陸上攻撃機

イメージ 1

 日本軍爆撃機に関しては大戦後半のやつ(というより飛龍だけかな?笑)しか紹介していなかったという事実に気づき、今回は海軍の九六中攻にしました。

 海軍機初(ということは日本初かな?)の全金属製双発単葉引込脚の近代的爆撃機で、初飛行は1935年7月。最高速度348km/h(一一型)、航続距離4000km、爆弾または魚雷800kg搭載という当時としてはなかなかの高性能でした。とくに双発でありながら4発機なみの長大な航続力はたいへんな魅力でした。

 この機体の活躍で有名なのは、まず日中戦争(日華事変、支那事変という呼び方もありますが面倒くさいのでこれで統一します)での九州や台湾から東シナ海を渡って中国大陸を爆撃した渡洋爆撃でしょう。
 戦記ものを読むとこの写真を見た人も多いと思います。上海を皮切りに漢口、重慶を爆撃しました。


 さらにもう一つも有名なんですが、開戦劈頭のマレー沖海戦での活躍です。これは九六中攻とその後継機の一式陸攻の連合部隊が、マレー沖でイギリスの誇る新鋭戦艦プリンスオブウェールズと、巡洋戦艦レパルスを航空攻撃だけで沈めたという戦闘です。これは真珠湾攻撃とともに世界に衝撃を与えました。


 時の首相チャーチルも「今迄にこれほどの衝撃を受けたことはなかった」とのちに回顧録で告白しています。マレー沖海戦大艦巨砲主義を一気に時代遅れにし航空機時代の幕開けを開始する大事件でした。



 これほどの栄光を担った九六中攻ですが、長大な航続力と引き換えにした貧弱な防御力と武装が時代遅れとなり、次第に第一線から退きます。それでも武装を外し九六式輸送機として活躍したそうです。