鳳山雑記帳はてなブログ

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鳳山の故郷紹介「大野下の大蘇鉄」

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その昔池松家には美しい娘がおり若者たちはこぞって嫁にもらおうと押しかけた。が、娘はだれにもいい返事をせず、仕事の機織りをせっせと続けていた。ある日、若者のひとりが燃えるような胸の内を打ち明けたが娘はいつものように微笑むばかり。若者はカッとなって娘の針を取り上げ、それを娘の肩に深く突き刺した。娘は叫び声とともに、忽然と消えてしまった。ところが、不思議なことに糸は庭の蘇鉄の肩に深く突き刺さった針に結ばれていたという。その後、誰もいないのに機を織る音が聞こえてきたり、蘇鉄の子株を盗んだ者が急に腹痛を起こし、それを元の場所に戻したら治ったという話もある。
明治維新の頃、蘇鉄の心根を哀れに思った同家はこれまでの池松姓から蘇鉄姓に改名。以来、蘇鉄の精は安住の地を得、木の体内に入って深い眠りについたという。

                      - 観光案内・蘇鉄の精の伝説より -

大野下の大蘇鉄
樹齢 700年から1000年
根元幹周10.6m 最高幹3.7m
北へ最大幹長6.4m
枝張り南北へ9.5m
東西へ6.3m
昭和9年12月、国指定天然記念物に
交通案内
JR大野下駅下車 徒歩10分

 うちの実家の近所に「大野下の大蘇鉄」という観光名所があります。といってもほとんど無名なところです(笑)。子供の頃から慣れ親しんだのでたいしたものだとは思っていなかったのですが、調べてみると国内最大級の大きさだそうです。

 樹齢700年~1000年とすると平安から南北朝の時代に存在したことになるのでロマンを感じます。玉名地方は大牟田・荒尾方面から熊本に到る海岸沿いの道(現JR九州鹿児島本線)と南関から下る街道(古来はこちらが幹線道路でした)が交わり、菊地川の河口で水運も加えた交通の要衝でした。
 源平合戦懐良親王菊池武光らの南北朝の戦乱、戦国時代の大友・竜造寺・島津の角逐の場となり、明治維新後の西南戦争の主戦場の一つにもなったところです。

 この大蘇鉄は、それらの歴史を眺めてきたんだなあと感慨深いものがあります。とくに戦国時代に菊池川島津義久と対陣した竜造寺隆信が本陣を構えた内野城の城域に含まれるので、「肥前の熊」と恐れられた竜造寺隆信や鍋島直茂と出会っていたかもしれないのです。(注 史跡では内野城は土塁の中だけになっていますが、私の調査ではそこは本丸で馬場宮、中尾丸を含めた大野下集落全体が総構えの城域ではなかったかと考えています。県道一号線から大野下に到る低湿地や大野下駅周辺は明らかに堀の跡ですから。)