鳳山雑記帳はてなブログ

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「篠原国幹終焉の地」不思議な夢を見ました

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 今朝、不思議な夢を見てしまい疑問がどうも晴れないのでここで記事にします。夢の中で、私は西南戦争で戦死した薩軍の知将、篠原国幹(注1)終焉の地を友達と訪ねています。

 玉名郡玉東町にあって田原坂吉次峠の古戦場近く、峠に登る道端にあり、今まで何度も訪れた場所なんです。しかしこのときはどうしても道が分からず車で訪れるのを断念、険しい山道を辿ってやっと発見します。そこは展望台のようになっていて(実際とは違います)、私達は地上を見下ろして涙を浮かべていました。当時の若者たちは何のために死んでいったのか?今の日本の姿を見て彼らは何を思っているのか?そんなことを思い浮かべながらの涙だったと思います。

 この夢がどうしても頭から離れず、今もずっと考えています。福田政権が誕生し、いままでの改革路線が頓挫し、日本が再び暗黒の時代に逆戻りする予兆なのでしょうか?




(注1)フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より

篠原 国幹(しのはら くにもと、天保7年12月5日(1837年1月11日) - 明治10年(1877年)3月4日)は江戸時代(幕末)の薩摩藩士、明治の軍人である。
明治6年1873年)に征韓論が破裂して西郷が下野すると、明治天皇の引き留めの命にも従わず、近衛長官の職をなげうって鹿児島へ帰った。「陸軍士官、相去るもの此の如きに於ては、慮なき能はず。但だ篠原少将の在るあり、桐野等去るも、猶未だ憂ふるに足らず」(種田政明)と存在自体が高く評価されていたので、この帰国は政府・軍関係者に大きな衝撃を与えた。