鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

『バベルの塔』の鳳山的解釈

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バベルの塔の記事は『旧約聖書』の『創世記』11章にあらわれる。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。そこで語られるのは以下のような物語である。

もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。シンアルの野に集まった人々は、れんがとアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム(ヘブライ語、慣習で名と訳されている)を高くあげ、全地のおもてに散るのを免れようと考えた(偽典の『ヨベル書』によれば神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた)。神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった(『創世記』の記述には「塔が崩された」などとはまったく書かれていないことに注意)。『創世記』の著者はバベルの塔の名前を、「混乱」を意味するバラルと関係付けて話を締めくくっている。
原初史といわれ、史実とは考えられないアブラハム以前の創世記の物語の中で、バベルの塔の物語は世界にさまざまな言語が存在する理由を説明するための物語であると考えられている。と、同時に人々が「石のかわりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを」用いたという記述から、古代における技術革新について触れながらも、人間の技術の限界について語る意味があると考えられる。

                      - フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より -

 本日、たまたまYahoo!動画で「バビル2世」を見てたんですが、ふとバベルの塔の伝説について考えました。
 あまりに有名なこの話は、今までは人間の欲望の虚しさを諭した寓話だと解釈していたのです。しかし、この話が何らかの事実をもとにしていたとしたらどうだろう?とふと思いました。

 「古代、言語は一つだった」=「古代、全地球規模の文明があった」
 「天まで届く塔」=「そのような技術があった」
 「神が塔を壊した」=「なんらかの天変地異によって文明が滅び、人々は各地に散っていった」

 ざっと、こんな具合に解釈できます。以前書きましたがムーやアトランティスあるいはレムリアを持ち出すまでもなく「アスカ(=飛鳥)」と呼ばれる地球規模の超古代文明が栄えていたという話を紹介しました。もしこの話が真実だったら、このバベルの塔の伝説もそれに関係があるのではないかと思います。

 バベルの塔の舞台になったメソポタミアの地に古代栄えたシュメール文明は、海から来た神オアンネスが文明を授けたといいます。
 「海から来た神」=「超古代文明の生き残り」
とすると、氷河期の海退で沿岸部に興った文明の生き残りだったのかもしれません。もしかしたら黒海の大洪水から生き延びてきた黒海文明人の末裔だったという可能性も考えられます。

 懐かしのアニメを見ながら想像の翼を広げるのも楽しい時間です。