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会津戦争余話2 ヤーゲル銃とミニエー銃

 ヤーゲル銃、幕末の歴史に詳しい人でも聞きなれない銃だと思いますが、会津戦争時、会津藩など東北諸藩が好んで使った銃でした。ヤーゲル銃はこれまでのゲベール銃の銃身にライフリングを施しただけの銃です。マスケット銃にライフリングを施した銃というとミニエー銃を思い浮かべる人が多いと思いますが全然違います。

 ヤーゲル銃の弾丸は火縄銃やゲベール銃と同様丸弾なのです。丸弾にライフリングを施して一体どのような効果があるんだと非常に疑問ですが、ゲベール銃よりは命中率が上がったそうです。

 一方、一般にミニエー銃と呼ばれますが実はミニエー銃という正式名称の銃はありません。ミニエー弾という椎の実型の弾丸(現在の弾丸に近い)を使った銃の総称がミニエー銃なのです。幕末にはイギリス製のエンフィールド銃などが大量に入ってきていました。

 ミニエー弾は、弾丸が椎の実型というだけではなく、弾の底が半球型に窪んでおり弾丸を発射すると火薬の燃焼で弾が膨張しガスの漏れが少なくなります。これで最高効率の力で弾丸を発射でき、従来のゲベール銃などと比べ命中精度が上がり射程も飛躍的に伸びたのです。同じ先込め銃ながら、装填時間も速く射程が長く命中精度も良いという優れた銃でした。

 原理としてはゲルリッヒ砲に近いと思います。ゲルリッヒ砲とは口径漸減砲のことで先に行くにつれ口径が小さくなるので、発射して弾が銃身を飛び出すとき爆発的なエネルギーになります。弾が圧縮された直後一気に解放されるからです。20㎜砲で連合国戦車の側面装甲くらいは簡単にぶち抜けたそうです。ミニエー銃はゲルリッヒ砲ほど極端ではなく口径も漸減しませんが、発射時のエネルギーを銃身から出た直後も維持できるという意味で似ているなと思った次第です。

 会津戦争の時東北諸藩にヤーゲル銃を売ったのはプロイセンの商人スネル兄弟だと思いますが、旧式化しヨーロッパでは売れなくなったゲベール銃にライフリングを施した改造をして騙して売り付けていたのでは?と疑います。南北戦争で大量に余ったミニエー銃はアメリカやイギリスの商人が独占して仕入れていたはずですからね。プロイセン商人には販路がなかったのかもしれません。

 その中で、庄内藩、長岡藩だけは当時最新式の元込め銃スナイドル銃を購入し配備していたんですから先進性がうかがわれます。長岡藩に至ってはガトリング砲やアームストロング砲まで購入しており驚かされます。ヤーゲル銃はゲベール銃や火縄銃と同じ丸弾なので装填にも時間がかかったと想像します。ミニエー弾は一発ずつ紙の薬莢に包まれており、紙袋の先端をちぎって銃身に火薬を流し込み紙薬莢ごと弾丸を装填するだけですから、同じ先込め銃とはいえ格段に装填速度が速かったんでしょうね。

 果たしてヤーゲル銃で戦った東北諸藩の兵たちはなにを思っていたんでしょうか?官軍がスナイドル銃やミニエー銃を使用したことを理解していたのか疑問です。でも戦っているうちに気付くはずなんですよね。敵のほうが発射速度が速いし命中率も射程もはるかに優れていると。だから白河城攻防戦でも官軍は寡兵にもかかわらず同盟軍の攻撃を撥ねつけたんです。

 結局武器の差でも東北諸藩は圧倒的に不利だったのだと想像しました。