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ラージャグリハ(王舎城) - 世界の都市の物語 -

 今回はインド史や仏典に詳しくない一般の方は全く知らない都市だと思います。しかし仏教徒には忘れてならない重要都市です。釈尊が初めて布教した都市で時のマガダ国王ビンビサーラも釈尊に帰依しました。有名な竹林精舎もラージャグリハにあります。現在の市街地は山の北側にありますが、当時の市街地は東北東から西南西に細長く広がる南の盆地に存在しました。北インドでは珍しく温泉の湧き出るところで、当時は風光明媚な都市だったと思います。

 現在のビハール州の州都パトナは旧名パータリプトラといい歴代マガダ国の首都でした。有名なアショーカ王のマウリア朝もその後に興ったグプタ朝もパータリプトラを首都とするマガダ国です。ラージャグリハからパータリプトラに遷都したのはビンビサーラの息子アジャータシャトル王の時代だと言われますが、だいたい紀元前5世紀ころの話です。パータリプトラの記事の時に詳しく語ったのでここでは簡単に述べますが、遷都の理由は外征に有利なガンジス河流域で東西に軍勢を派遣しやすかったからだとも言われます。あるいは父殺しの汚名を解消したかったから心機一転遷都したとも言われます。

 はじめはビンビサーラ王との関係から仏教教団を敵視し弾圧したアジャータシャトル王も、後に和解し仏教を保護します。有名な祇園精舎は大富豪スダッタが旧コーサラ国(アジャータシャトル王が滅ぼした)の首都シュラーヴァスティー(舎衛城)に建設して寄進したとされますが、アジャータシャトル王も資金援助し協力したそうです。

 話をラージャグリハに戻すと、ラジャとは王の意味で王の支配する町というのが語源だそうです。ラージャグリハの成立には数々の伝説がありますが、周囲を山に囲まれた要害の地だったことが大きかったと思います。日本で言えば鎌倉や朝倉氏の本拠一乗谷みたいなイメージです。外輪山は自然の障壁になりますし、防御施設を作るのも容易ですからね。

 驚くべきは、こんな小さな盆地に最盛期10万人もの人口がいたことです。紀元前5世紀のパータリプトラに遷都直前の頃だそうですが、温泉が湧き出るくらいだから水は豊富だったのでしょう。『仏国記』で有名な支那東晋の仏僧法顕もラージャグリハを訪れました。405年から407年にかけてインドの仏教遺跡を巡っています。405年と言えばグプタ朝マガダ国の時代。首都はパータリプトラですが、ラージャグリハはかなり衰微していたと想像します。竹林精舎の跡を眺めたとき法顕は感慨深かったと思います。

 ちなみに法顕はシルクロードからアフガニスタンに入りカイバー峠を越えてインド亜大陸に入っています。インド各地の仏教遺跡を巡った後セイロン島に渡り、海路で東晋に戻ったそうです。荊州江陵で亡くなりました。享年86歳。現在ですら大変なのにこんな大旅行をできたのですから体力も運もあったんでしょうね。仏僧は各地で保護されたのかもしれません。イスラム教が普及する前で良かったと思いますよ。イスラム教全盛時代ならシルクロードの時点で殺されていたかもしれませんね。

 仏教の歴史と深い関わりのあるラージャグリハ、いつか訪れてみたいです。