


もはや、余程のもの好き以外ついてこれないマニアックな世界に入っていますが、パータリプトラ話の続きです。仏典によると、マガダ国の王アジャータシャトルは殺害した父ビンビサーラが仏教教団を保護したことから、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの心理状態からか最初教団を弾圧したそうです。仏教教団弾圧には釈尊の高弟提婆達の教団乗っ取りの陰謀があったともされます。
それはともかく、アジャータシャトルは後に仏教教団弾圧を悔い釈尊と和解したと書かれています。これはあくまで仏典の解釈で自分たちの正統性を訴える内容でしょうから、真実は分かりません。ただ、アジャータシャトルは、征服事業のために首都をラージャグリハから遠征に都合の良いガンジス河沿いのパータリプトラに遷都したことでも分かる通り野心家でした。
記録によると彼の征服した諸国は、古代インドの十六国のうち東のアンガ国、北のヴァッジ国、北西のマッラ国、西のカーシー国、マッラ国のさらに北西コーサラ国の5か国に及びます。すべてが弱小国というわけではなく、カーシー国やコーサラ国はマガダ国と対抗できる実力持った強国でした。マガダ国は、自国内にある豊富な鉄資源を背景にこれらライバルたちを次々と打倒していきます。
とすればアジャータシャトル王は、単なる父殺しの暴君ではなく有能な国王だったと思われるのです。彼の征服地は不思議なことにインド国内における稲作の中心地と重なります。稲作は麦作に比べ大人口を養える穀物ですから、人口的にもマガダ国は非常に有利な立場になったと言えます。