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世界史英雄列伝(28) 藺相如 中編 - 澠池の会盟 -

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 藺相如が和氏の璧を完して趙に帰国すると、秦の昭襄王は面白くありませんでした。趙を力でねじ伏せるべく戦争を仕掛けます。国境の石城を落とし、さらに出兵して趙軍を破り、2万を殺しました。
 そうしておいて、昭襄王は趙に使いを送ります。「誼を結びたいから、西河の南、澠池(めんち)において会見しよう」
 
 またしても難問でした。趙の恵文王は出かけても辱めをうけるだけだと、行くのを渋りました。将軍の廉頗(れんぱ)と藺相如は共に王を励まします。
「ここで王が行かれなかれば、趙弱しと、天下に宣伝されてしまいます。私(藺相如)が同行いたしますから、王は安心してお出かけください。」

 こうして恵文王は出発し、藺相如が同行しました。廉頗は国境まで見送り、王に別れを告げました。
「会見の儀礼と往復の日数を数えると三十日あまりでしょう。もしお帰りにならなければ、太子様のご即位を願い奉ります。」
 王はこれを許しました。主従の悲壮な別れでした。

 一行が澠池に着くと、秦王はこれを歓待します。そして宴たけなわのとき
「予は趙王が音楽を好まれると聞いている。ひとつ瑟(しつ、弦楽器の一種)を奏でてはくれまいか?」
 仕方なく恵文王は瑟を奏でます。すると、秦の御史(記録係)が進み出て記録に留めました。
「某年某月某日、趙王、秦王のために瑟を奏でる」趙が秦の属国になったというあきらかな嫌がらせでした。

 藺相如は進み出て「秦王は歌の名手と聞き及んでおります。どうか趙王のために缶(ふ)を打って歌を歌っていただきたい。」
 昭襄王はあきらかに嫌な顔をします。相如はさらに前にでて、秦王に乞いました。そして静かに言います。
「秦は強大ですが、いま秦王と私の間は五歩しかありません。私の頸の血が貴方に跳ねかかると思し召せ。」
 懐に匕首を忍ばせての脅迫でした。側近が斬りかかろうとしますが、藺相如が一喝するとたじろぎます。しぶしぶ昭襄王は歌いました。

 藺相如は振り向いて趙の御史を呼び寄せます。
「某年某月某日、秦王、趙王のために缶を打つ」と記録させました。

 さらに、秦の群臣が「ひとつ秦王のために十五城を贈っていただきたい」と言うと、「それならば返礼に咸陽(秦の首都)を賜りたい」と切り返しました。宴の間中、相如は秦王に付け入る隙を与えませんでした。しかも会見の行末を案じた廉頗が国境沿いに兵力を集結させているという報を受けた昭襄王は、いまいましいながらも、趙と対等の同盟を結んで引き下がりました。

 こうして二度にわたって、藺相如は趙国の危機を救います。この功により上卿という最高の地位を与えられました。これが、共に危機を救った廉頗との関係にひびが入る原因になるのですが、その話は後編でご紹介することにしましょう。