鳳山雑記帳はてなブログ

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T-54/55 (ソ連)

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 T-54は、第二次大戦中のドイツ主力中戦車パンターに対抗するため開発されたT-44の発展型です。

 その砲塔は以後のソ連戦車に特徴的なお椀を伏せたような半球型ですが、これはJS-3スターリンの砲塔を改良したものだと思います。完全な半球型になるにはいくつかの変遷があります。これは避弾径始を極限まで追いつめた結果でした。

 戦後すぐの1946年登場ですが、長砲身の100佶い鯏觝椶掘∨づ秡位盟?210仄崑料位盟?110个鬚錣困36トンとコンパクトにまとめた技術はさすがというしかありません。しかし反面そのために居住性は最悪で搭乗する戦車兵は戦闘前に変な疲労でへばっていたのかもしれません(苦笑)。

 冗談はさておき、ほとんど同じ形状のT-55とあわせておそらく10万両以上生産されたといわれています。改良型のT-55が1958年に登場し1970年後半まで生産が続けられ、東側諸国のベストセラーになりました。世界の兵器市場ではアメリカ製のM-48とシェアを分け合いましたが、アメリカは自国に友好的な国にしか供与しなかったため数の上では大差がついています。

 このため共産圏ではないにしても、アメリカとあまり関係の良くないアジア・アフリカ諸国は値段が安いこともあって争ってこのT-55を買いあさりました。


 ではいったいどちらが強かったのかという疑問は、1967年に起こった第三次中東戦争ではっきりします。イスラエル主力戦車M-48と、エジプト・シリア・イラクなどのアラブ連合軍のT-55がぶつかったのです。

 M-48は、車体はさすがにアメリカ製らしく信頼性の高いものでしたが主砲は90佶い鮑陵僂掘■-55の100佶い卜瑤辰討い泙靴拭専門家の間ではイスラエル戦車部隊が苦戦すると見る者もいたくらいです。

 しかし蓋を開けてみるとイスラエル陸軍M-48の圧勝でした。もちろん緒戦の航空奇襲で制空権がイスラエル側に渡っていたという不利な事実もありましたが、個々の戦車戦を見ても言い訳できないほどの惨敗をアラブ側は喫したのです。

 主砲の威力こそ劣るものの米製M-48は正確な照準でT-55を撃ち抜きました。一方アラブ側のT-55は初弾を敵に命中させるまえに次々と炎上していきました。


 アラブ側の訓練不足という可能性もありますが、世界の見方はソ連製戦車が西側戦車に負けたという印象でした。


 これで慌てたのは、生産者のソ連です。いくら安くても弱くては誰も買いません。あまりにも無様な敗北に急遽115mm滑腔砲を搭載した新戦車T-62の輸出を始めます。

 しかし、これもT-55・M-48の関係と同様T-62・M-60(第四次中東戦争)も同じ結果になります。そしてこの関係はT-72・M-1エイブラムズ湾岸戦争)と続いていくのですから皮肉です。

 さらにイスラエルは、高性能なメルカバ戦車を開発し少なくとも中東では戦車戦での逆転は不可能となりました。


 西側諸国は、朝鮮戦争でのT-34ショックをようやく中東戦争で払拭したと言っても過言ではありません。


 これはあくまで私見ですが、100佶だ鐚屬鬚錣困36トンに纏めたためいろんなところに無理が生じて、相対的に弱体化したのではないかと思います。ちなみにM-48は52トン、M-1エイブラムズに至っては63トン(M1A2)もあります。もともとソ連の戦車設計思想は先進的でしたが、戦後になって官僚主義的弊害が出てきたのでしょう。

 
 そしてそれがソ連邦崩壊の一因になったのかもしれません。



【性能諸元】(T-55)


全長 9.2 m
車体長 6.45 m
全幅 3.27 m
全高 2.35 m
重量 36 t
懸架方式 トーションバー方式
速度 50 km/h(整地)
35 km/h(不整地)
行動距離 約460 km
主砲 56口径100mmライフル砲 D-10T
武装 12.7mm機関銃
7.62mm機関銃
装甲 防盾210 mm
砲塔側面110mm 後面60mm
砲塔上面30mm
車体前面上・下部100mm
車体側面上部80mm
車体側面下部20mm
車体上面33mm 底面20mm
エンジン V2-55 12気筒液冷ディーゼル
580 馬力
乗員 4 名