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『扶桑型戦艦』(日本)

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 扶桑型戦艦(ふそうがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦。金剛型巡洋戦艦に引き続き建造された最初の超弩級戦艦である。同型艦は扶桑、山城の 2隻。当初同型艦として予定された伊勢、日向は、本型の欠点を改良し、設計を改めた伊勢型となった。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)


 なにを隠そう私は日本戦艦の中ではこの扶桑型が一番好きなんでございます。それだけ高性能なのかって?いえいえ性能は駄目駄目です(旧海軍関係者の方、ごめんなさい)。


 もともと金剛型巡洋戦艦武装強化型として計画され、金剛型が14インチ(35.6cm)連装砲×4基8門なのに対して、14インチ連装砲×6基12門の当時としては強力な砲力を誇りました。


 欠点は上げるときりがないのですが、ひとつは主砲塔が6基もあるため船体が細長くなり満足な舷側水線装甲を張れなかったことです。

 では何で三連装砲塔×4基にしなかったのか疑問に思われるでしょうが、当時の日本はまだ三連装砲塔の経験がなく、その開発を待っていると建造が大幅に遅れるという理由でした。前級の金剛が巡洋戦艦なので、日本は一刻も早く新戦艦を保有したかったのです。


 もう一つは、三番砲塔と四番砲塔が煙突をはさんで前後にあるため、斉射すると煙で見えなくなるというものでした。このために四隻計画された扶桑型のうち三番艦四番艦の伊勢・日向は再設計され煙突の後ろに二基まとめられてすっきりした艦形になっています。


 一番艦扶桑が竣工したのは1915年ですが、その一年後のジェトランド(独名ユトランド)海戦でこの種の防御力に難のある戦艦の脆弱性が表面化し一気に旧式化します。ということは基本設計が一緒の伊勢型などは竣工前から旧式艦になったという悲劇までおまけにつきました。


 何度か防御力強化の改装工事がなされましたが付焼刃的な解決策にすぎず根本的解決には程遠い状態でした。

 大日本帝国海軍が、八八艦隊などという分不相応な巨大艦隊計画をだした根底には、扶桑型、伊勢型の失敗が頭にあったのかもしれません。





 と、悪口はここまで!シルエットを見てください!艦橋がひょろっとして縦に細長いでしょ?欧米人にはこれがビルマの仏塔に似てることから「パゴダマスト」として珍重されました。


 味だけなら世界一なんですよ!しかもね扶桑(一枚目の写真)と山城(同二枚目)は三番砲塔の向きが逆なんですよ。見分け方は前に付いてるのが扶桑、後ろ向きなのが山城です(笑)。

 それにパゴダマストの形状も微妙に違うでしょ?同級艦でここまで違うのもちょっと珍しいんです(爆)。


 どんなに防御力が弱くても、これだけ味があると可愛くなってきませんか?私などはどれだけ眺めても飽きませんよ(笑)。




【性能諸元(竣工時)】


排水量 常備:29,330トン
全長 205.1m
全幅 28.7m
吃水 8.7m
機関 宮原式重油・石炭混焼缶24基
+ブラウン・カーチス式直結タービン2基4軸推進、40,000hp
最大速力 22.5ノット
航続距離 14ノット/8,000海里
乗員 1,193名
武装 35.6 cm(45口径)連装砲6基
15.2 cm(50口径)単装砲16基
(7.6 cm(40口径)単装高角砲4基)
53.3cm水中魚雷発射管6基
装甲 舷側:305 mm
甲板:64 mm
主砲塔:280 mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、115 mm(天蓋)
バーベット部:-mm
司令塔:351 mm