鳳山雑記帳はてなブログ

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「金毛九尾の狐」と那須の「殺生石」

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 1145年頃といいますから鳥羽上皇院政期でしょうか。上皇は「玉藻の前」という絶世の美女を寵愛します。しかし上皇は、彼女と出会ってから次第にやつれていきました。陰陽師安倍泰成(あべのやすなり)に占わせてところ、玉藻の前の正体は古代中国、商(殷)の紂(ちゅう)王の后、妲己となって国を滅ぼした金毛九尾の狐という妖怪で、このままでは上皇は取り殺されてしまうことが発覚しました。

 鏡に映った玉藻の前はその正体を現し飛び去ります。朝廷は上総介広常、三浦介義純に命じ妖怪を下野国那須まで追い詰めさせます。ようやく仕留めた九尾の狐は石に化け、毒の煙を吐いて人々を苦しめました。これが那須殺生石のいわれです。


 以上が九尾の狐の伝説ですが、私鳳山の悪い癖は伝説にもなんらかの歴史的事実が隠されているのではないかと考えることです。
 当時は院政全盛期。最高権力者である上皇に取り入ることは権勢への最短距離です。藤原北家摂関家の支配は終りを告げ、新たな閨閥の形成に院の近臣たちは血眼でした。
 この玉藻の前もそういった勢力の娘だったのではないかと考えます。しかし、閨閥戦争に敗れ一族が下野に追放されたのではないでしょうか。あるいは自ら都落ちしたか。

 ただ追い落とした側も、不安がぬぐいきれず坂東の有力な平氏である三浦氏、上総氏に追討させたのでしょう。ここで思い浮かべられるのが那須与一で有名な那須氏です。藤原道長の六男・藤原長家の孫藤原資家を祖とすると伝えられる那須氏が案外、玉藻の前を差し出した勢力だったのかもしれません。都での権力の座を諦め土着した武士団として新たな生きる道を見つけたのかもしれません。これは私の単なる想像なので、識者からみれば噴飯ものの主張であることは百も承知です。
 
 玉藻の前が那須氏の一族だったとすると、滅びるどころか鎌倉幕府の有力御家人として生き残り北関東に勢力を張ったのですからたいしたものです。その生命力は妖怪といってもよいかもしれませんね。