鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

『海の民』の謎

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 皆さんは海の民というものをご存知ですか?よほどの世界史通でないとご存じないと思いますが

【海の民(うみのたみ, Sea Peoples)は、東地中海沿岸を放浪し、古代エジプトの第19王朝後期また特に第20王朝のラムセス3世5年にエジプト領内への侵犯を試みた諸集団に使われる総称的呼称である。「海の民」という語はエジプトの記録では用いられていなかったが、後世一般化した。】(ウィキペディア)というものです。


 古代エジプトに侵入し中王朝を滅ぼした謎の民族ヒクソスとともにオリエント史上謎と言われている民族です。ヒクソスに関しては当ブログで一応の推理はしましたが(キリスト教関係者からは総反発を食らいましたが…苦笑)、海の民についても私独自の(独断と偏見の)推理をしてみたいと思います。


 まず海の民ですが、民族系統は不明。古代地中海世界においてけっこうやらかしています。

.リシャに侵入しミケーネ文明を崩壊させる。(紀元前1150年頃)
▲劵奪織ぅ箸鯡任椶后(紀元前1190年)
エジプトに侵入し新王朝のラムセス3世と戦うがこれは撃退される。ただしその結果エジプト王朝は衰退。

 それ以外に、地中海東岸の諸都市国家も侵入を受け破壊されたそうです。



 最新の研究では、ヒクソスと同様この海の民も多くの民族の複合勢力だったらしく
◇アカイワシャ人 - ホメロスの伝えるところのアカイア人、すなわちミケーネ文明の担い手であったギリシア
◇トゥルシア人 - エトルリア人
◇ルカ人 - 小アジア南西部のリュキア人
◇シェルデン人 - サルデーニャ
◇シェクレシュ人 - シチリア

などがいたみたいです。その故地は小アジア西岸(イオニア地方)あるいはバルカン半島東岸の黒海に面した地方だと言われています。

 アカイア人などは、まんまギリシャ人でペロポネソス半島に侵入したイオニア人はアカイア系の一派だと言われています。他はドーリア人とアイオロス人(世界史で習いましたね?)。


 民族系統不詳と言われたイタリア半島の先住民エトルリア人も海の民の子孫らしいんですね。




 では海の民はどこから来たのかということですが、一応有力な説は小アジア西岸です。鉄器と戦車で古代オリエント世界を席巻したヒッタイトですが、本拠地小アジアアナトリア半島)で、半島の西岸にあったアルザワという異民族の国に接しています。バビロニアを滅ぼし、当時の超大国エジプトと互角の戦いをしたヒッタイトほどの強国が、なぜ本拠地近くに異民族国家の存在を許していたのか謎です。

 征服するほどの価値がなかったのか、それとも意外と強敵で滅ぼせなかったのか不明です。


 このアルザワがもしかしたら海の民そのものではないか?という説もあります。アルザワとアカイワシャ(アカイア)って名前も似てる気がしますし。

 ではそのアルザワ人たちはどこから来たのかという問題が出てきます。
 私の考えでは、海の民の勢力にもちろんアルザワも入っているようには思えるのですが、主流ではないような気がします。



 ギリシャ人の故地はドナウ河流域だとされますから、私はどうしてもドナウ文明説を考えてしまうんです。ドナウ文明説は私の大好きな漫画「MASTER キートン」などでも語られていますから知っている人も多いと思いますが、漫画の中でも語られている通り石の文明ではなく木の文明だったために遺跡が残りにくく、発見が遅れているとされています。ドナウ河は文明が発展できる条件がそろっていたそうですし。
(豊かな農業生産を行える平野、人口など…)


 学会での評価は知りませんが、ドナウ河流域にいくつかの遺跡が発見されているそうですし、見事な黄金細工が発掘されたそうですからもしドナウ文明が実証されればロマンがありますね。


 ギリシャ人とはもしかしたらドナウ文明を担った人たちだったのでは?と想像しています。何らかの天変地異でドナウ流域に住めなくなった人たちが各地に脱出し、その民族大移動の一つが海の民の流れだったのではないか?と推理します。


 ある程度の文明をもっていたのなら、当時の先進国であったエジプトやヒッタイトと互角の戦いをすることもできただろうと思います。案外アルザワと海の民の一派のアカイア人は同族でそれを頼ってまず小アジア西岸に押し寄せたのかもしれませんね。

 そこへ、ちょうど隣国ヒッタイトが内乱と飢饉で国力が弱っているという情報を得て彼らが攻め込んだのが滅亡につながったのでしょう。一方、エジプトに向かった時には当初の民族の存亡を賭けたような勢いをなくしていたためエジプトは撃退できたのかもしれません。


 民族移動が目的だけに、各地で落ち着いた後は急速にその勢いをなくし海の民はばらばらになってしまったのでしょう。生き残りが目的なら、安住の地を得たら移動する必要がありませんからね。


 こう考えていくと、昔からヨーロッパはダイナミックに民族が移動していたんですね。もしかしたら世界中そうかもしれません。東アジアでもタイ族や越族は華中、華南あたりから南下して今の土地に落ち付いていますからね。インドのアーリア人中央アジアが故地ですし。


 日本みたいな豊かな自然に恵まれた土地に落ち着いた民族は幸せだったでしょう。お隣のトンスル民族などは寒冷で痩せた土地にしか住めなかったから日本が羨ましくて粘着しているんでしょうね(苦笑)。