菊池良生著「傭兵の2千年史」によれば、傭兵という職業は売春に次いで、2番目に古い職業だそうです。もともと都市国家は市民軍でした。しかし市民の暮らしが楽になるにつれて、人々は徴兵を忌避するようになってきます。戦争が無くならない以上、兵士は必要です。それで傭兵という職業が誕生しました。
古代オリエントにおいて、傭兵の存在は確認されていますが、ギリシャ世界においても同様でした。特にアナトリア沿岸に植民したギリシャ人たちの中には、傭兵としてペルシャに雇われるものもいました。
ギリシャといえば、ファランクス(長槍密集歩兵陣)が有名ですが、ギリシャ人傭兵はその衝撃力によって、ペルシャ世界で重宝されました。
傭兵が、本国ギリシャとの戦いに参加することも珍しくありませんでした。アレキサンドロスの遠征にも、敵として戦ったメムノンというギリシャ人傭兵隊長がいました。
ところで、クセノフォンという人物の名を聞いた事はありませんか?ソクラテス門下でプラトンと机を並べた哲人です。しかし彼は、軍人という一面を持っていました。
紀元前401年、彼はアケメネス朝ペルシャのキュロス王子に傭兵として雇われます。キュロスは当時小アジア総督でした。兄であるアルタクセルクセス2世の王位を簒奪するため本国に遠征します。その軍隊の中核になったのが、親衛隊である騎兵と、1万3千人にも及ぶギリシャ人傭兵隊でした。
両者の戦闘はオリエントの地で行われます。ギリシャ人傭兵隊のファランクスが猛威を振るい、王の正規軍を撃破しました。しかし、血気にはやるキュロスは兄王の止めを刺すため騎兵部隊を率いて突出し戦死してしまいます。
傭兵隊は敵中に孤立しました。雇い主が戦死したためどうする事もできません。降伏しても殺されるか、辺境の地へ流されるだけです。傭兵たちは、互選して指導者としてクセノフォンを選びました。クセノフォンは敵中を突破して故国ギリシャに帰る道を選びます。
6000キロに及ぶ距離を、敵の追撃をかわしながら、命からがら逃げおうせました。これは彼の著作『アナバシス』に詳しく書かれています。私の愛読書の一つですが、ギリシャ人傭兵たちの苦難と、クセノフォンの指導力が描かれていてたいへん興味深い本です。岩波文庫からでてますので、是非一読することをお勧めします。