皆さんは、任那(みまな)日本府(369~562)という言葉を、聞いたことがありますか?日本史でなんとなく聞いたなという方もおられるでしょう。
当時(大和朝廷)の日本が、朝鮮半島の南部に植民地を持っていたという事を日本書紀に記してあるのですが、もちろん韓国の学会では否定されてます。ところが、中国南朝の宋や南斉の資料でも出てくるため現実の可能性が高いのです。それ見た事かと、嫌韓流の方々は凱歌をあげそうなのですが、ちょっと待って欲しいのです。
あらかじめお断りしておきますが、ここからは私、鳳山の独断と偏見で推理しますので、なんら学術的根拠はありません、あしからず。
私は、当時の大和朝廷の国力で海外植民地を持てたとはとうてい思わないのです。しかし、中国南朝の歴史書に登場するという客観的事実があります。どういうことか?という疑問の回答ですが、こう考えてみたらどうでしょう。
任那日本府のあった加羅と日本列島の人間は同族だった。しかも、本家は任那のほうで、、そこから渡海した勢力が大和王朝を築いた。国土の広い大和朝廷のほうが、本家である任那を凌ぎ、逆に任那を支配するようになった。
どうです、これなら自然な流れではないですか。馬鹿を言えとお叱りを受けそうですが、ここで戦後日本史学会を騒然とさせた、東大江上波夫教授の「騎馬民族征服説」が現実味を帯びてくるのです。
騎馬民族征服説では、朝鮮半島にいた騎馬民族「扶余族」が日本列島に侵入し大和朝廷を築いたとされています。任那日本府のあった加羅は扶余族系です。大和朝廷と密接な関係のあった百済も扶余族系王朝です。百済滅亡後、大和朝廷はその遺民を数多く受け入れてます。
大和朝廷が、百済に同族意識を持っていたとしか思えないのです。朝鮮半島に軍事進出して植民地を築いたというより、もともと両者は一つだったと考えるほうが自然です。ガチガチの皇国史観の方にはとうてい受け入れられない説ですが、私、鳳山はこのように考えています。