鳳山雑記帳はてなブログ

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水戸黄門のちょっといい話

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 水戸黄門こと徳川光圀は、皆さんテレビ時代劇でご存知と思います。実際はせいぜい関東くらいしか回っていなかったろうと言われていますが、彼についてちょっといい話を仕入れたので、ご紹介します。

 童門冬ニさんの『男の器量』によると、水戸光圀は暇さえあれば年寄りの話を聞いたそうです。なかでも生駒不半という老人を愛し、よく家に上がりこんで一日中酒を飲んでいたそうです。
 ある日、不半がポツンとこんなことを言いました。
 「私たちのような役立たずは退職後も、こうしてのんびり暮らさせていただいております。しかし何らかの過ちを犯してお役ご免になった者の家族はかわいそうでございますな…生きていくのもやっとでありましょう?」
 普段無口の不半老人の言葉を奇異に思いながら光圀は城中に戻りました。そして重役を呼び出します。
 「何らかの過ちを犯した者の家族はどうなっておる?」
 「困っておりましょうな。給与は一切支給しておりませんから。」
考え込んだ光圀の姿を見て重役は、
 「殿、よけいな仏心はいけませぬぞ。罪を得たものは本人だけでなく、家族が暮らしに困り、あれが罪人の家族よと指さされてこそ本当の罪の恐ろしさを知るのでございます。」
 重役をじっとみつめた光圀は「そうかな…」とつぶやきました。
 「そうですとも」重役は自信たっぷりにこたえます。
 光圀は、不半老人が何らかの根拠があってあんな話をしたのだと考えました。実例を知っているのだと。
 「そういう家族はどうやって生活の資を得ているのだ?」
 「内職がおもでござる。なかには娘が身を売る場合もございましょう。」
 「娘が身を売る?」光圀は驚きました。
 翌日、光圀は重役に命じます。
 「罪を得た家族のうち、娘がいるものは城中で手伝い人として召抱える。」
 重役は反対しました。「それでは示しがつきません」と。しかし光圀は頑として曲げませんでした。
 「家族に罪は無い。家族まで罰してはならない。」

 こうして娘たちは城中で働く事となりました。城の人間たちはいろいろ噂をしましたが、光圀の計らいに恩義を感じている娘たちは、そんなことを気にせず必死に働きました。これが評判になり、後ろ指をさす者もいなくなります。
 光圀は頃合を見て、こういう娘たちに縁談の世話をしました。すると現金な事に家中から嫁に貰いたいという声が殺到します。光圀は苦笑しましたが、満足でした。
 やがて光圀は病気になります。死期が迫った時、「あの娘はどうした?」と、たった一人だけ売れ残った娘を心配します。
 重役は「今日、縁談がまとまりました。」とこたえました。
 「それはよかった…」光圀はうなずきます。枕元には不半老人がいました。
 「殿、いいことをなさいましたな。」
 「うむ」
 微笑み返して、光圀は死んだそうです。

 どうでした。ちょっとホロリときたでしょう?こんな光圀の人間性が後世まで慕われ、「水戸黄門」として伝説ができたのではないでしょうか?