非常にマニアックで申し訳ないのですが、私鳳山が長年疑問に思っている事があります。中国史で春秋戦国時代、中原にあった列国の「鄭」が、三晋の一つ「韓」にあっけなく滅ぼされたことです。
(世界史書庫「晋陽城水攻め」日常書庫「中国古典の魅力(3)」参照)
色々調べた結果、すでに鄭は春秋時代末期晋の六卿の侵略を受け、領土を蚕食されていたということがわかりました。それでも有力な諸侯国である鄭が、なぜ六卿の一つに過ぎない韓氏に滅ぼされたのか、いまひとつ納得できませんでした。
ところが、最近読んだ「戦国策」にその秘密の一端が解明できそうな記述を発見しました。
三晋(趙・魏・韓)が知氏(知伯)を破って、その土地を分割する事になった。そのとき韓氏の謀臣、段規が韓氏に進言した。「土地の分割に関しては、ぜひとも成皐をお取りなさい」
韓氏「成皐は石だらけの土地である。私の役に立たない」
段規「それは違います。臣が聞くところでは『一里の厚にして千里の権を動かすものは地の利なり。万人の衆にして、三軍を破る者は、不意なり』と申します。君が臣の言をお取り上げになれば、韓はきっと鄭を取ることになりましょう。」
韓氏「なるほど」
はたして、韓が鄭を取る事になったとき、成皐はその作戦基地になった。
成皐の地は、黄河と伊水の合流点にあり交通の要衝でした。鄭の地を攻めるための死命を制する場所で、戦国時代なんども戦いが起こりました。後に鄭の故地に中心を移した韓が、秦に攻められたときも秦軍はまず成皐を占領して、韓を滅ぼしました。
さすがに段規は慧眼でした。彼がいたからこそ、韓は戦国の七雄として生き残る事ができたのかもしれません。