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大戦初期の日本陸軍歩兵連隊に迫撃砲部隊が編入されていない理由

 ここまでマニアックになってくると、ついてこれる人いるのかな?例によって軍事や戦史に興味ない方はスルー推奨です。

 これまで数度に渡り大東亜戦争中の大日本帝国陸軍砲兵部隊に関して見てきたわけですが、調べてみると大戦初期の陸軍歩兵連隊には迫撃砲部隊がありませんでした。迫撃砲部隊は独立迫撃砲大隊(軽迫撃砲36門定数か中迫撃砲なら定数12門)や独立臼砲大隊(臼砲12門定数)で集中運用されました。

 大戦末期、野砲が決定的に不足してくると野砲兵連隊の代替として迫撃砲連隊が編入されるケースもありましたがそれ以外は師団隷下の迫撃砲大隊~連隊や歩兵連隊隷下の迫撃砲小隊~中隊はありません。私は歩兵連隊の中に迫撃砲部隊があったほうが色々便利だろうと考えていたんですが、はっと気づきました。

 日本には八九式重擲弾筒がありました!

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 八九式重擲弾筒は、簡易迫撃砲でありながら50㎜軽迫撃砲と同等の威力、しかも重量は半分という優秀な兵器です。余りの優秀さに鹵獲した八九式を国府軍支那人民解放軍も好んで使ったそうです。日本は12万挺も生産したそうですから、なかなかやりますね。それだけ使い勝手が良かったのでしょう。

 意外に思われるかもしれませんが、近距離戦闘では米軍より日本軍の方が優勢な火力だったそうです。それはこの八九式重擲弾筒のおかげ。日本陸軍では歩兵小隊が3個の軽機関銃分隊、1個の重擲弾筒分隊を持ち重擲分隊は3門の八九式を装備しました。小隊レベルの遭遇戦で日本軍は50㎜軽迫撃砲に匹敵する威力の砲弾を頭上から降らせてくるんですから、戦う相手は嫌だったでしょうね。

 さすがに中距離~遠距離になると火砲の数が違いますからアメリカ軍の方が優位に立ったそうです。