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イタリア戦線における連合軍戦闘序列

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 一部の熱狂的軍事マニア(編制厨)以外の方には需要がないマニアックな記事ですが、戦闘序列(Order of battle)シリーズはこれでしばらく打ち止めです。

 実はこの記事、過去記事の『イタリア戦線におけるドイツ軍』と対になっております。

 イタリア方面における連合軍司令官はイギリスのアレキサンダー大将。日本の戦史に詳しい方なら、ビルマ防衛軍司令官で日本の第15軍に敗北しビルマ失陥を招いた指揮官と記憶しておられると思いますが、実は並みの指揮官ではなくその後中東軍司令官に転じ、モントゴメリーなど一癖も二癖もある軍人たちを指揮し北アフリカの戦いを勝利させた人物でした。

 アレキサンダーは引き続き、ハスキー作戦(シチリア島上陸作戦)からイタリア戦線における連合軍最高司令官になりました。英第8軍も、北アフリカではモントゴメリー指揮で大活躍した部隊です。


 一方、米第5軍の司令官はクラーク中将。第5軍はトーチ作戦で活躍した第2軍団を基幹に本土から大兵力を増強しアメリカ陸軍が海外で編成した第2次大戦で初の野戦軍(第1~第4は既に存在)でした。クラーク自身は堅実な指揮官でしたが、運が悪く1944年モンテ・カッシーノの戦いで歴史あるモンテ・カッシーノ修道院を爆撃し世界中から非難されます。

 実はクラーク本人は戦略的意義の薄い修道院爆撃には反対だったそうですが、上層部(マーシャル参謀総長?)の命令で仕方なく爆撃を実行しました。ところがキリスト教関係者から抗議が殺到すると、上層部は現地で作戦を実行したクラーク本人に責任転嫁します。この辺りどこの国でもありがちな官僚の卑劣さがにじみ出てますが、おかげでクラークは駐バチカン米大使に内定したものの、コナリー上院議員キリスト教保守派の猛反対で辞退せざるを得なくなります。

 軍人としてのクラークは、派手さはなくとも堅実で軍内部の信頼は厚かったそうです。朝鮮戦争ではリッジウェイに代わって国連軍司令官にも就任します。アメリカ陸軍で数少ない元帥になりました。




 戦闘序列を見てみると、自由フランス軍アメリカ軍に組み込まれたようですね。さすがにイギリス指揮下ではプライドが許さなかったのでしょう。国が滅亡しているくせに面倒くさい民族です(苦笑)。イギリス第8軍は世界中の英連邦諸国から部隊をかき集めているのが特色です。加えて亡命ポーランド軍部隊まで!部隊の意思統一をするのも一苦労でしょうね。色々面倒くさそうな国が多そうですし(爆)。



 本当は、太平洋戦線における連合軍の戦闘序列を書きたかったんですが資料不足で断念しました。やはり戦史叢書か?競馬で万馬券当てたらすぐ買えるんですけどね。そう思ってフェブラリーステークス大穴狙いましたが大失敗しました(爆)。やはり世の中そんなに甘くない(反省)。