鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

世界史ちょっと良い話 コピペ集

 まだ正月なんで、現実的な話はやめにしてちょっと良い話を2ch世界史板から集めてみました。

光武帝後漢王朝創始者 劉秀)が夜遅く帰った時、門が閉まっていて入れてもらえないということがあった。身分を門番に伝えても規則ということで開けてもらえず、しかたがないので朝帰りをした光武帝は、自分を入れなかった門番に褒美を与えた。 


東ローマのレオン6世がお忍びで夜の町を歩いていたところ、兵士に不審がられたので、金貨を渡したところ見逃してもらえた。 
更に別の兵士と出会った際も、金貨を出すことで見逃してもらえた。 
こういうことを何度か繰り返していたが、最後に会った兵士は金貨を出すと逆に怒り出し、皇帝を鞭打って牢に入れた。 
翌日、牢から出られた皇帝は金貨を受け取った兵士たちに罰を、自分を牢へ入れた兵士に褒美を与えたという。 


春日局が門限を破って大奥に戻ろうとしたところ、門番に遮られて帰ることが出来なくなったので、冬の寒い夜を外で過ごす羽目に陥った。 
翌朝、門番は信用出来る男という理由で誉められ、褒美を貰った。 


ナポレオンの陣中において、不審な男を兵士が誰何したところ、要領を得ないので引っ立てられた。男はナポレオンであり、兵士を賞賛して警備を任せた。 




関東大震災の後、東郷平八郎邸はかろうじて焼け残ったので、若手将校が見舞いに訪れたところ、それらしい屋敷の前で野良着をつけて後片付けをしている老翁がいたので、「爺さん、東郷閣下のお屋敷はここか」と問うた。 
すると老翁「そうだ」と言ったきり、振り向きもせず作業を続ける。 
将校相手に態度がでかいのに怒って近づいてみると、老翁は東郷本人だった。 


アフリカ第二の高さを誇る山、ケニア山のレオナ峰(4985m)に初登頂したのは、第二次世界大戦中にイギリスの捕虜収容所からこの峰を眺めていてどうしても登りたくなり、物資を懐に入れるなど準備を重ねて脱走した三人のイタリア人捕虜。 
下山した三人は収容所に戻り、罰として一月弱の独房生活を強いられた、というのはいい話……なのでしょうかね。 


第二次大戦時の日本人捕虜(シベリア抑留者)が作ったウズベキスタンの国立ナヴォイ劇場1966年の大地震の時、周囲の多くの建物が倒壊するなかナヴォイ劇場はビクともしなかった。 
どういう境遇になっても日本人、国民性は変わらんわ 



夜中にアッバース大帝(サファヴィー朝第5代シャー。ただし元ネタはアッバース朝のカリフだったと思われ)がお忍びで街を歩いていたら変な男たちの三人連れに出会って意気投合。 
彼らは実は盗賊団で、これから王の宝物庫を荒らしにいくという。 

面白くなったアッバース大帝も着いていって、道々お互い自己紹介をする。 
盗賊1「自分は動物の言葉が分かる」 
盗賊2「自分はどんな鍵でも開けられる」 
盗賊3「自分は一度見た顔は決して忘れない」 
大帝「自分は実は絶大な権力を持っていて、 
   髯をちょっと捻るだけでどんな大罪人でも許すことができる」 

途中で犬が吼えたのを聞いて盗賊1がいわく 
「犬が言っている。『大金持ちはお前たちの中にいるのに、今宵お前たちは何処に行くのか』」 
やがて庫に着くと盗賊2が鍵をこじ開けて四人で荒らしまわる。 

翌朝大帝は王宮で兵士を呼びつけて昨夜の盗賊たちの人相を詳細に語って 
「ひっ捕らえてまいれ!」と命令。 
そこで三人の盗賊が捕まえられてきて、盗賊たちは顔を上げられずにがたがた震えている。 
ところがそこで盗賊3がふと大帝の顔を見上げて驚いていわく 
「俺たちは三人とも特技を披露した。今度はあんたが髯を捻ってくれ」 

これには大帝も苦笑して彼らを許すしかなかったという話。



アレクサンダー大王が海賊に、 

「海を荒らすのはどういうつもりか」 

と問うた 
海賊はすこしも臆するところなく、 

「陛下が全世界を荒らすのと同じです。 
ただ、私は小さい船でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」 

と答えたという



ナポレオンが士官学校にいたころ、果物が好きで果物売りの娘からツケで買っていた。 
やがて学校を卒業し、ツケを未払いのまま軍人になった。 
それから数々の武勲をあげ、将軍となり、第一統領となり、いろいろあって最終的に皇帝になった。 
そしてやがて、士官学校のあった町に行き、いつぞやの果物売りの女を探し出し、ツケを払った。利子として多額の金貨も一緒に。 

それから、この町に来る度に自分が泊まる為に、と言って、女の家も建て替えてあげた。律儀なのかスケベなのかいろんな意味でいい話だと思う。



1790年代、フランス革命干渉戦争で、ライン川を挟んで睨みあうフランス軍見張り兵とドイツ軍見張り兵。 

見張りに退屈したフランス兵が「やーい、ばーかばーか」と叫ぶとまじめなドイツ兵が「おーい、今何時か?」と聞かれたと勘違いして 
「3時半だよ」と叫び返してあげた。 
国民性というか、ちょっといい人の話。



にらみ合う兵士の交流と言えば、1914年、第一次大戦の最初の年のクリスマスに西部戦線のイープルでにらみ合っていた英独両軍の兵士が、クリスマス休戦で、たばことかウイスキーとかソーセージとか交換したりして交流したそうな 
残念ながら翌年以降はクリスマス休戦はなくなるが


女王エカテリーナがある宴会でおならをした。 
若い陸軍士官がとっさに「失礼しました」と罪をかぶった。 
その後彼は異例の昇進をした。 

ある国際会議で、日本代表がおならをした。 
とっさに椅子の肘掛をこすって類似の音をだし、ごまかそうとした。 
なんどかこすっていると、となりのインド代表がつっこんでくれた。 
「最初の音がいちばん良く似ていましたな」 





 いかがでした?上のアッバース大帝のネタは、アッバース朝第5代カリフ、ハールーン・アル・ラシードの話が元ネタで確かアラビアンナイトに載っていたような気がします(笑)。さすがに16世紀のアッバース大帝時代にはあり得ない(8世紀でも有り得ないが…)と思います。