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ローマ帝国建国史11   第2回三頭政治

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 紀元前44年3月15日、ガイウス・ユリウス・カエサル暗殺。暗殺実行犯たちは独裁者から共和政を守った英雄として市民の賞賛を受けるはずでした。事実元老院はブルートゥスら暗殺実行犯に恩赦を与えます。ところが世間は暗殺という後ろ暗い手段でカエサルを倒したブルートゥスらに厳しい目を向けました。元老院中立派のキケロからさえ距離を置かれたためブルートゥス、カッシウスらはローマを離れざるを得なくなります。

 ローマでは、カエサルの後継者となったオクタヴィアヌスと長年戦場で苦楽を共にしたアントニウスレピドゥスカエサル軍の宿将たちとの対立が深刻になります。アントニウスらにしてみれば、いくらカエサルの親族とはいえ何の実績もない18歳の若造に従う義理はないというところです。そんな中オクタヴィアヌスは、カエサルの遺言だったパルティア遠征を実行するため元老院に70万セステルティウスの公的資金を要求、これが認められるとその資金で自分の軍団を作りました。

 オクタヴィアヌスがパルティア遠征を持ち出した事は、カエサルの部下だった退役兵から熱烈な支持を受けます。もしこの事を計算していたとしたらオクタヴィアヌスの恐るべき慧眼だと言えるでしょう。紀元前44年5月6日、カエサルと同僚の執政官だったアントニウスは、カエサル暗殺者たちと休戦協定を結びブルートゥスとカッシウスはギリシャに、デキムス・ユニウス・ブルートゥス・アルビニウス(ブルートゥスの従兄弟)はガリア・キサルピナ(アルプスの南側のガリア、現在の北イタリア、ロンバルディア平原)に赴きました。

 ローマに戻ったオクタヴィアヌスは、カエサルの葬儀を行います。カエサルの遺産の4分の3を相続するはずだったオクタヴィアヌスですが、アントニウスの妨害に遭い入手できませんでした。しかたなく方々から借金し葬儀を挙行します。これもまたカエサルの兵士たちの支持を受けました。

 アントニウスカエサルの遺産を横領していたため、オクタヴィアヌスは抗議しますが交渉は決裂します。そこに目を付けたのがキケロでした。キケロは、若年のオクタヴィアヌスを操って邪魔なアントニウスカエサルの将軍たちを排除する事を考えます。元老院に隠然たる力を持つキケロの工作は功を奏し、アントニウスは次第に孤立していきました。危機感を募らせたアントニウスは、執政官の任期切れのあとガリア・キサルピナ総督として赴任することを決めます。

 ところがガリア・キサルピナには暗殺犯の方割れデキムス・ブルートゥスがいました。当然両者は戦争になります。元老院が調停しようとするも失敗、オクタヴィアヌスが自ら事態を収拾しようと申し出ました。実際にローマで現在軍を握っていたのはオクタヴィアヌスでしたし、キケロが弁護した事もあって紀元前43年1月1日、元老院オクタヴィアヌス元老院議員に任命、彼に軍の指揮権を与えました。まだ19歳になるかならないかの異例の抜擢です。おそらくキケロの腹の中はオクタヴィアヌスアントニウスが共倒れになってくれる事を願っていたでしょう。

 元老院は、さらに背信行為を行います。デキムス・ブルートゥスにオクタヴィアヌスが率いる軍隊の指揮権を委ねる決議まで行いました。怒ったオクタヴィアヌスは、前線に赴く事を拒否、あろうことか現在戦争中のアントニウスと結んだのです。彼らの共通の敵は元老院でした。両者は連合してデキムス・ブルートゥスを倒すとそのままローマに軍を率いて南下します。

 元老院の裏切りは高くつく事になりました。両者は8個軍団を率いてローマを制圧します。この時、自分たちに敵対した者のリストを作り、次々と処刑しました。その中の一人にキケロまでいました。多くの元老院議員や富豪たちが粛清の対象となります。アントニウスは、ただ財産持っているというだけで無実の者を多く殺害し遺産を奪ったそうです。

 オクタヴィアヌスアントニウスカエサル軍の長老レピドゥス三者が集まり国家再建三人委員会を設けて国政を支配しました。軍の威力を背景にした恐怖政治です。オクタヴィアヌスは19歳で、またしても異例な執政官に就任しました。これが第2回三頭政治です。三者の恐怖政治の下、元老院議員300名、騎士身分の者2千人が処刑されました。

 ほとんどローマにおいて勢力を失った元老院派の希望はギリシャで兵を募っていたブルートゥスらでした。ブルートゥスらは東方諸国で17個軍団10万の大軍を集めます。これに対し、三頭政治側はレピドゥスがローマを守り、オクタヴィアヌスアントニウスがそれぞれの軍団を率いて討伐に赴く事に決まりました。



 次回、三頭政治側と元老院派の最終決戦、フィリッピの戦いを描きます。