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天下三分の計と三国の人口

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 歴史の疑問シリーズ
 諸葛亮が、劉備三顧の礼で迎えられた時、まず説いたのは天下三分の計でした。すなわち、天子を擁し華北に強大な勢力をもつ曹操、長江に守られた江東、江南に地盤を築いている孫権にたいして、今劉備が寄食する劉表の領地荊州(湖北・湖南)を引き継ぎ、西の蜀(今の四川省)を併せれば、曹操孫権に対抗できる第三の勢力を築けるというものです。
 その中で、蜀は四方を急峻な山岳に囲まれた方千里の天賦の国と紹介されています。確かに四川地方は古代三星堆文明、蜀王国の時代から独立勢力が興りやすい土地です。蜀錦でも有名でイメージ的には農産物豊かなまさに天賦の国です。
 しかし、以前読んだ本では気候も曇りがちで土地も痩せておりそれほど豊かではないとありました。むしろ荊州の方が「湖広熟すれば天下足る」の言葉通り中国有数の豊かな地方なんだそうです。
 もしかしたら、天下三分の計は蜀より荊州に比重をおいた策ではなかったのでしょうか?
 とすれば、関羽荊州失陥は大変重大なミスということになります。
 ともかく、人口の面でも曹操の魏が440万、孫権の呉が230万なのに対して蜀は94万しかいません。これでは呉と連合しない限り魏に対抗できません。
 兵力も、人口の3%が外征兵力の限界ですから2~3万しか出せません。それ以上動員すると国家経済は破綻します。ぎりぎり10万(しかも長期ではなければとの条件付ですが)が最大でしょう。
 諸葛亮が南蛮遠征したのも、蜀の国力アップのための交易路確保という面が大きかったはずです。
 北伐の際、諸葛亮の好敵手、司馬懿が堅く守るばかりで出撃しなかったのも、蜀の国力を知っていたからでしょう。長期戦は、国力のある魏のほうが圧倒的に有利ですから。
 これを考えると、国力の劣る蜀に敵を一歩も踏み入れさせなかった諸葛亮は偉大な人だったんですね。