一般にイスラム教徒は「コーランか剣か」というように異教徒にはジハード(聖戦)を仕掛け厳しい態度で臨んだようなイメージがあります。ところが実態は、自分たちに従う異教徒には税金を掛けただけで信仰は保証しむしろ穏健な態度で臨みました。
というのは征服地のすべての住民をイスラム教徒に改宗するのは不可能だし、もしそれを実行しようとしたら激しい抵抗を受けるからです。イスラム教徒の中でさえアラブ人とそれ以外の対立がありアッバース朝の成立に繋がったくらいですから、異教徒をあえて敵に回す必要はありませんでした。
実際、ビザンツ帝国はイスラム教徒であるセルジュークトルコに本土とも云うべきアナトリア半島(現在のトルコ)の大部分を奪われ存亡の危機に陥っていました。ヴェネチアやジェノバも地中海貿易をイスラム教徒に独占されてしまうと自分たちの利権が大きく侵害されるので警戒感を抱いていました。
時のローマ教皇ウルバヌス2世は1095年南フランスのクレルモンで公会議を開き聖地エルサレム奪回の十字軍を決定します。しかしこれは欧州各国の王家にとっては迷惑以外の何ものでもありません。各国はようやく王権を拡大させ自国の統治を一元化しようとしている最中でした。十字軍参加は、ローマ教皇を怒らせると破門になってドイツのハインリヒ4世のように酷い目に遭わされるからという理由だけでした。一部戦争馬鹿のリチャード1世のような例外はありますが(苦笑)。
しかし王家以外の騎士たちにとっては、教皇庁の送った煽動使の説く東方の豊かな富を我がものにできるという話は耐え難い誘惑でした。ローマ教皇の権力が最高潮に達したこの時代でも純粋な信仰心から十字軍に参加した者はほんの一握りでした。
全十字軍の中で曲がりなりにも成功したのは1096年から始まったフランスやドイツの騎士を主力とする第一回十字軍でした。イスラム勢力の内部分裂をうまく衝きパレスチナ、シリアの地中海沿岸地方を占領することに成功します。
第3回十字軍(1189年~1192年)は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イギリス王リチャード1世などスター級が揃った豪華な十字軍でしたがアッコンを奪回したほかは見るべき成果はありません。それ以後の十字軍は惨憺たる結果でした。
ビザンツ帝国の衰退は決定的になり、途中には味方であるはずの十字軍から国を奪われるという事件まで起こりました。しかしヴェネチアなどの商業国家はいち早くビザンツを見限りマムルーク朝と通商条約を結ぶなど上手く立ち回ります。ローマ教皇の影響力はインノケンティウス3世(在位1198年~1218年)時代を頂点として以後は衰退していきました。
14世紀からイタリアで始まるルネサンスは、ローマ教皇庁の権力衰退と対照的にイスラム世界との東方貿易で富を得たヴェネチア、ジェノバ、フィレンツェなどの都市国家が実力を蓄えた成果でした。そして王権はますます伸張し封建時代から絶対王政の時代へと突入していくのです。